今から40年以上前の事でしょうか、山梨県、静岡県などの山深い山村農業の民俗調査をしたことがあります。明治から昭和にかけての人々の暮らしを古老から聞いたりしました。鍛冶屋の古老から石臼の研ぎ方などを習いました。また山奥に住む古老から、当時まだ作られていた食用の稗やシコクビエなどの雑穀の栽培方法を習いました。
今は亡き古老からいただいた食用稗とシコクビエを育苗し、今回その苗を先日収穫したニンニクの跡に植えました。日本では今このような雑穀を栽培する人はほとんどいないでしょう。これら雑穀を栽培していると、山深い山村で出会った今は亡き古老達を思い出します。
数十年前に古老からいただいた雑穀を植え付け
山梨県の山深い山村の民俗を調査している時、こんなことがありました。昔は街道だったらしい一軒の家を訪れると、私一人だけ思いがけずとても丁寧な招待を受けました。相当古くからある由緒ある大きな家でした。若い女性も加わって賑やかな郷土料理などが出ました。※その当時、その地域を数日間にわたって調査していました。
帰り際に分かったのですが、私をもてなした理由はその若い女性の婿に迎えたいとの事だったのです。もしもその家の婿になっていれば、今どんな生活をしているでしょうか。それなりに幸せになったでしょうか。・・・・・ごめんなさいねお嬢さん。
食用稗の苗 シコクビエの苗 植え付けた食用稗
お米が栽培できない山村では、食用稗やシコクビエなどの雑穀しか収穫できません。私も食べたことがありますが、全体的にパサパサしていて美味しくありません。しかし、山深い土地では生きるためにはそれらを食べるしかありませんでした。お米は貴重で手に入らず高価で食べられなかったのです。今では考えられませんが、同じ日本でとてつもない格差があったのです。また食物による差別意識もあったのです。
今は誰でもお米を食べています。40年ほど前に八王子の山奥を調査していました。その時、ある古老が「奥の部落では稗を食べていたが、うちは昔からお米を食べていた。」と自慢していました。昔はお米を食べていること自体が、ステイタスシンボルだったのです。また、戦前のことですが、軍隊の食事にお米が出されていました。お米をたらふく食べられるとのことで軍隊に入った人もいたそうです。
植え付けたシコクビエ 植え付けた食用稗に散水
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