東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

柳井市大畠周辺の史跡巡り下見ウォーキング(5/5)

2022年02月13日 | 歴史探訪他ウォーキング

 鳴門小学校前の坂はほぼ一直線に丘に向かっています。息せきながら登って行きました。すると、坂の途中に小さな屋根付きのお地蔵様7が安置されていました。そのお地蔵様7には千羽鶴が飾ってありました。病気か何かの快方を願って、どなたかが供えたに違いありません。さらに坂を登っているとT字路に突き当たりました。そのT字路は以前、柳井港から大畠まで史跡を巡ってウォーキングした時に通過した道でした。そのT字路から右に折れて東に向かいました。しばらく歩くと、海岸を見下ろせる展望が良い薬師堂に着きました。

       灌木の急斜面を滑るように降りて、稲荷大明神に向かう


 薬師堂で立ったまま休憩をしました。海を見ていると、四国に向かっていると思われる船が通っていました。確かオレンジラインとか言った連絡船でしょう。この船は、私が小学生の頃に祖母に連れられて道後温泉や松山城に行った時に乗りました。片道3時間位の船旅だったでしょうか。当時、平生の祖母の家からバスでJR柳井駅まで行き、JR柳井駅からJR柳井港まで行き、柳井港から船で四国に渡っていたように記憶しています。昔は自家用車は無く、歩き,バス,列車,船で旅行をしていました。バスは車掌さんが載るボンネットバスで、列車は煙を吐く蒸気機関車の時代でした。

 坂の途中のお地蔵様7    眺めが良い薬師堂    南部霊場の大師堂
  

 薬師堂からしばらく歩くと、遍照院に向かう坂道が見えてきました。遍照院には山をぐるりと回る八十八か所霊場があるのですが、全て回ると一時間はかかると思われました。時間がないため一番箇所のお地蔵様だけを見ました。続いて、30分位歩いて、南部霊場の大師堂に行きました。南陽霊場は知っていましたが、南部霊場とは聞きなれない霊場でした。綺麗に管理されていたので、麓に住む方々が守っているに違いありません。

  旧斜面の途中にある稲荷大明神     JR大畠駅を見下ろせる薬王寺
 

 続いて、稲荷大明神に向かいました。ところが、どこにあるのか分からず迷いながら探しました。灌木が生えた急斜面の途中にありました。落葉が堆積した急斜面の下り坂はすべりそうでした。稲荷大明神の前には巨大な岩があり、かつては水量が豊富だったようです。しかし、上に自動車道が作られてから地下水脈が切れたのか水が出なくなったようです。今はしずくほどの水が流れていました。この場所から大畠街に向かって水路が繋がっていました。かつては大切な水が供給されていたのでしょう。その守り神として稲荷大明神が建てられたのかも知れません。続いて、薬王寺に寄った後に出発したJR大畠駅に戻りました。下見ウォーキングに参加された方々、お疲れさまでした。

         柳井市大畠の史跡巡りのため下見したコース

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最後の白菜を収穫

2022年02月12日 | 野菜:葉菜

 秋冬野菜を少しずつ片付けています。これまで収穫した白菜は、自宅で食べたり友達に差し上げていました。そして今回、一つだけ残った最後の白菜を収穫しました。新聞紙を外すと、形の良い綺麗な白菜が出てきました。一番外側の葉は少し寒さで傷んでいたため取り除きました。この白菜、二つにカットして一方を汁物か炒めて、片方は浅漬けにしようかと思っています。これで、今年の白菜は全て収穫し終わりました。去年は購入した苗を移植して育てましたが、今年は種まきして栽培しようと思います。

       形と言い色と言い、とても美味しそうな最後の白菜  


 冬野菜のうち、小松菜やキャベツなどはほぼ食べつくしました。残った小松菜は芯が硬くなり葉にもえぐみが少し出てきました。一方で、春が近いのかのらぼう菜などのとうを食べる野菜が大きく葉を広げています。タマネギもだいぶ大きく育ってきました。今の時期は冬野菜と春野菜が入れ替わる時期です。今後種まきする春夏野菜のため、食べなくなった冬野菜は遠慮なく処分しようと思います。

   新聞紙で覆った最後の白菜        傷んだ外葉を取り除く
 

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柳井市大畠周辺の史跡巡り下見ウォーキング(4/5)

2022年02月11日 | 歴史探訪他ウォーキング

  大畠ふれあいビーチでの昼食休憩が終わると、大畠ふれあいビーチ近くにあるはずの大師堂を探しました。しかし、どこをどう探してもありません。そこで目を落として足元を丹念に探すと、大師堂が建っていたらしい礎石の跡がありました。車が行き来する国道を渡ってお世話するのは危険です。そのため、近年お世話をする方が絶えたのではないでしょうか。建物を綺麗に撤去して、お地蔵様などは別のお寺に安置したのではないかと思います。

        山上に並んだ遍照寺の八十八ヶ所のお地蔵様の一つ


 ところで、大畠ふれあいビーチ前の国道188号線向かい側に、昭和39年まで50年間旧鳴門小学校があったそうです。その小学校があった頃、大畠の子供達は街の端にあった旧鳴門小学校に通ったのでしょう。旧鳴門小学校跡地は今、市営住宅になっています。次に、国道188号線を戻って赤い鯛のトイレに行きました。

 国道沿いの鯛のトイレ    戒善寺の石階段      旧道のお地蔵様6
  

 赤い鯛のトイレはとても目立ちます。私も時々国道188号線を通って周防大島や岩国などに行きます。最初は金魚かと思っていました。続いて、国道188号線の横断歩道を渡って旧道に戻りました。旧道に戻ると、国道188号線の車が行きかう喧騒が無くなり静かになりました。しばらく歩くと、戒善寺の長い石階段を登りました。本堂を拝むと石階段を降りて、再び旧道を歩きました。

   線路を目の前にした大師堂      鳴門小学校南線路脇の大小の祠
 

 旧道を少し歩くと、立派なお地蔵様6がありました。このお地蔵様6から、旧道に別れを告げて丘に向かう道に入りました。少し歩くと線路が見え、その右側に大師堂がありました。大師堂は綺麗に掃除されていました。今でも近隣の方が守っているに違いありません。線路を過ぎてすぐ、鳴門小学校がありました。鳴門小学校の南線路脇に大小の祠があります。面白いのは、道に向かってではなく線路に向かって祠が配置してあることです。元々は海に向かって配置してあり、その後祠の前を線路が開通したのかも知れません。

         柳井市大畠の史跡巡りのため下見したコース

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山口産ウールを紡いで座布団を試作(1/14)

2022年02月10日 | 綿栽培,糸つむぎ,織り,染色



 空いた時間をみては少しずつ毛糸を紡いでいます。これまでは織りをしてきましたが、これから数ヵ月かけて簡単なウールの座布団をのんびりと作ってみようかと思います。座布団の表と裏はかいたファームさんで飼われている羊(きなこちゃん)の毛を使い、クッションは田布施農工高校で飼われている羊(茶々丸ちゃん)の毛を使います。まずは、表用に紡いだ毛糸をタマネギの皮で茶色に染めました。薄い茶色と濃い茶色の二色にしようと思います。裏側は藍を使って、やはり薄い藍色と濃い藍色の二色にしようと思います。空いた時間を使っての紡ぎや染色です。楽しみながら、のんびり作ろうと思います。

      きなこちゃんの毛を紡いだ毛糸(双糸)を、茶色に染色


 座布団の表用にする毛糸は先日、間違って下撚りも上撚りもZ撚りにした双糸です。ほどけやすい双糸ですが強さは変わりません。その毛糸を編んでみようと思います。まずは、その双糸を二分割しました。一方を薄い茶色に、もう片方を濃い茶色に染めてみました。最初に薄い茶色です。しかしながら、薄い茶色は薄すぎて、遠目に薄い黄色のような色になってしまいました。もう一度、タマネギで染色し直するか、いっそのこと紅花で黄色が朱色に染め直してみるのも良いかも知れません。

  双子をかせくりに     かせ繰り後に分割    薄く茶色に染めるも
  

 続いて、濃い茶色に染めました。これは、タマネギの皮を細かくカットして時間をかけて煮込んで色を抽出したのでうまく染まりました。私は染色の専門家ではないので、なかなか思うように染まりません。いつも妥協しながら、こんなものかと思いながら進めています。教わる時間がないため、いわば我流でたんたんと進めています。単なる趣味なので。

   極薄の茶色に染まった毛糸(右)     極薄の茶色の毛糸を玉巻き
  

 二色に染めた毛糸をかせくり器にかけて、玉巻き器で巻き取りました。編んでいる時に転がることを避けるためケースに入れました。ケースの中心穴から毛糸を一本出しました。この一本の毛糸を引き出しながら編んでいこうと思います。さあて、うまく編めるでしょうか。どうしても上手に編めなければ、織る方に切り替えようと思います。

 タマネギ皮を煮込む      濃い目に染める    かせくりから玉巻き
  

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柳井市大畠周辺の史跡巡り下見ウォーキング(3/5)

2022年02月09日 | 歴史探訪他ウォーキング

 大畠街の旧道から再度国道188号線に出ました。旧大畠座跡そばの横断歩道を渡って住吉神社に行きました。ところが、本殿の目の前が国道188号線のため、車の行きかう音などで落ち着いて参拝できません。旧道のバイパスとして旧道と住吉神社の参道を横切るように国道が開通したためだと思います。そのため、本殿の目の前に今の国道188号があるのです。もう少し旧道側に国道188号線があれば、ゆったりと参道を歩いて住吉神社を参拝できたはずです。しかし、国道188号線を極力直線に敷設するためにやむを得なかったのでしょう。

         誰もいない大畠ふれあいビーチで昼食休憩


 住吉神社を参拝すると、堤防に沿う小道を通って梅ヶ崎天満宮を参拝しました。天満宮を参拝し終わると、再び国道188号線を渡って旧道に戻りました。今回何度も旧道と国道188号線を行ったり来たりしました。国道188号線が開通したことにより、大畠の方々の生活は様変わりしたと思います。良くなったこともあれば、不便になったこともあるのではないでしょうか。

 国道に面する住吉神社     梅ヶ崎天満宮      旧道のお地蔵様5
  

 旧道に戻ると大畠町旧役場跡に行きました。今は何もない広場になっています。また、すぐ近くにお地蔵様5がありました。大畠のお地蔵様はどれも立派です。柳井港方面に向かって歩くと、神社とお寺が隣り合わせにありました。海原神社と長泉寺です。共に立派な石垣と石階段です。大畠の奇祭と言われる俄祭りは、鳴門神社から神輿が出て海原神社まで練り歩くとのこと。長泉寺を見終わる頃、お昼を過ぎていました。そのため、再び国道188号線を渡って海側に出ました。

     奇祭俄祭りの海原神社         浄土真宗の長泉寺
 

  海側に出て国道188線を柳井港方向に向かって歩きました。すると、見たことがある鯛の形をした小さな建物がありました。車で通過する時に鯛の形をしたこの建物をよく見かけますが、トイレであることを今回初めて知りました。そのトイレをさらに進むと、大畠ふれあいビーチに来ました。しかし、冬は閉鎖されているようで正規の入口からは入ることができませんでした。そこで、脇に置かれた脚立を渡ってビーチに入りました。風が強く冷たかったため、堤防下に寄り掛かるようにして昼食休憩を取りました。

        柳井市大畠の史跡巡りのため下見したコース

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数年かけて雑木林やケヤキ林を整理、畑か広場に

2022年02月08日 | 樹木,果樹

 年を重ねると、山や畑の管理が重荷になります。そこで、数年かけて山は植生をなるべく単純化し、太く高い樹木はすべて伐採する計画を立ています。跡を継ぐ息子の負担にならないためにも。高い樹木は、いずれ台風などで倒れるリスクが高まります。倒れれば、電線を倒したり,道を遮ったり,家屋などに被害が及びます。対策は今しかありません。個人で対処するには、体力と時間が足りません。それに危険のリスクもゼロではありません。そこで、シルバー人材センターに伐採などをしてもらっています。とは言え、費用も掛かりますので一年では実現できません。毎年少しずつ木々の伐採・整理をしてもらおうと思っています。

        樹を20本位伐採をしてもらい、明るい広場に


  我家の周りに大木がたくさん生えている理由は、亡き父親が樹を植えるのが好きだったことと、樹に対する思い入れの世代差があることです。亡き父親(大正生まれ)の世代は、子供が大きくなって家を建てるための建材用に植林していました。私が幼児の頃、私のために杉の苗をたくさん山に植えていました。その植林を手伝ったことを覚えています。そもそも、我家は桃園を経営していました。収穫した桃を、そのまま食べる美品と缶詰にする形の悪い桃を選別しては出荷していました。そして、釜戸での煮炊き,暖房,風呂焚きなどに我家の木を使っていました。木々に囲まれ、木に頼った生活でした。

    この範囲の木を全て伐採     伐採した樹は一ヵ所に集積
 

 ところが、時代の変化と共に木が必要ない生活になってしまいました。釜戸はガスレンジや電子レンジに、暖房は石油ストーブやエアコンに、風呂焚きは電気に・・・と。今は木は必要ない時代になってしまいました。必要があったとしても安価な外国産木材に置き換わってしまいました。しかし、亡き父親は「いつか役に立つ。」との思いで植林を続けてきました。今、その後始末をするのが私なのです。

    その昔、酪農のため乳牛を30頭ばかり飼っていた旧牛舎

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柳井市大畠周辺の史跡巡り下見ウォーキング(2/5)

2022年02月07日 | 歴史探訪他ウォーキング

 鳴門神社を出ると、その隣にある石上神社に行きました。面白いのは、近くに石神漁港と呼ばれる漁港があることです。もしかして、元々は神社名のように「石上」だったのが、「石神」に変わったのかも知れません。似たような例で、田布施町の大波野は江戸時代初期までは奥波野と呼ばれていたそうです。波野の奥にあるので奥波野だったのが、大波野村として独立した時に良い漢字を当てはめたようです。「石上」よりも「石神」の方が神聖で良いイメージですので。そのような名称例を時々目にします。

       大畠の旧道にて、民家の壁と一体化しているお地蔵様


 続いて、お地蔵様2を探しなから旧道を歩いていると小さなお店がありました。そのお店で、大畠でしか飾らない2月の飾物を売っているかどうかお聞きしました。すると、その飾物はこのお店のご主人が昔から作っていることが分かりました。その飾物は、棘があるヒイラギの茎に煮干しと葉っぱを重ねて結んだものです。鬼をやっつける豆のようなものです。今はそのご主人しか作らないそうです。しかし、残念なことにそのご主人は入院中とのこと。購入することができませんでした。葉っぱの種類を奥様に聞きましたが、炒めるとパチパチと音を立てる葉っぱだとしか分からないとのこと。結局、何の植物の葉が分かりませんでした。

   石上神社と鳥居    魚屋さんのお地蔵様    ひなびた昭和のお店
  

 お店を過ぎると、行っても行っても目的のお地蔵様2が見つかりません。仕方なく昭和の趣のある文房具店の奥様にお地蔵様2の場所をお聞きしました。すると、さっきまでいたお店の近くにあるとのこと。引き返しました。すると、なんと民家の壁と一体化するようにお地蔵様2が安置されていました。お地蔵様2を見終わると、旧道から外れて国道188号線に出ました。

    道の合流点にあるお地蔵様4      昭和初期の趣がある旧道
 

  国道188号線に出ると魚屋さんがありました。その魚屋さんの傍にお地蔵様3がありました。横断歩道が離れているため、お地蔵様3は国道188号線を挟んで見るだけにしました。そして、旧道に戻ると川の方に向かって歩きました。しばらく歩くと、日積からくる道と合流しました。その合流地点にお地蔵様4がありました。その昔、その合流地点は賑やかだったことを思わせます。古い呉服屋などの建物が軒を並べていました。

         柳井市大畠の史跡巡りのため下見したコース

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麦畑脇の伐採木の整理、土手の草刈り

2022年02月06日 | 草刈り,整地

 毎年の事ですが、今頃麦畑脇の整理をしています。晩秋に伐採した樹木の残渣(幹,枝,葉など)を畑の隅に重ねて置きます。春に種をまいて育てる綿,藍,モロコシ,枝豆,小豆キビなどの邪魔にならないように片付けています。今回は伐採したこならの樹や雑木の残渣を片付けました。この作業で大変なのは、枯れてはいても蔓が残渣に絡みついていることです。引っ張っても離れず、鎌を使いながら片付けます。この作業が終わってようやく、トラクターか耕運機で畑を耕運できます。その最初として、3月に植え付けるジャガイモの畝を作る予定です。

       枯れた蔓が絡みついて、スムーズに取り除けない枯枝


 続いて、刈り残した土手の雑草を草刈機で刈り取りしました。昔は燃やしたりしたのですが、今は延焼のリスクがあるため燃やすことはありません。以前は刈り取った雑草などを細かく裁断して畑にうない込んでいました。人手が少ない今、そのような手間がかかることはできません。草刈りかひと段落すると、伐採した後に残った幹の皮をぐるりと一周斧で削っておきました。皮の形成層を残らず削っておくと、養分が送れなくなり幹全体が枯れやすくなります。

 土手の草を刈り取り    刈り取った土手の草    根元の皮を斧で剥ぐ
  

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柳井市大畠周辺の史跡巡り下見ウォーキング(1/5)

2022年02月05日 | 歴史探訪他ウォーキング

  今年2月は柳井市の大畠周辺の史跡をウォーキングします。その下見のため、大畠周辺をあちこち歩いてみました。集合はJR田布施駅にしましたが、JR柳井駅で合流した方が1名いました。JR大畠駅を10:00頃に下見ウォーキング開始です。最初、線路を横断して大畠町観光協会に行きました。大畠に来た目的をお話しすると、ありがたいことに史跡が細かく描かれているパンフレットをいただきました。ありがとうざいました。このパンフレットを参考にしながら史跡を巡ることにしました。

         お祭りがあったのか、鳴戸神社のお神輿三個


 続いて、すぐ近くにある大畠総合センター前を通ってから海を展望した後、大島大橋ができる前に大島と大畠を結んでいた連絡船が出航する旧桟橋跡を訪ねました。私が小学生の頃、よくこの連絡船に乗りました。そして、大島の小松港近くで黄金の鯉を飼っている遠い親戚に行きました。大きく立派な建物でした。その家の名前は忘れてしまいましたが、床板を外すと黄金色,赤色,あるいは赤黒などが散らばった色の鯉が、床下をゆうゆうと泳いでいました。飼育もしているようで、鯉を飼うことで有名だったようです。一匹の鯉の値段が超高価で驚いたことを覚えています。また、いい色の鯉を作出するのがとても難しいような話を聞いた気がしました。今はもう、その親戚の建物は無く鯉も飼育していないそうです。

  JR大畠駅を出発      大畠町観光協会    大畠総合センター
  

 大島に行ったもう一ヵ所は、いまのダム近くです。小松港近くでバスに乗り、山の方に向かって30分位行ったところでした。川の傍にバス停があったように記憶しています。そこでミカン狩りをよくしました。私より6歳くらい上のお兄さんがいて、木製の巨大な戦艦大和の模型を見せてくれました。長さ1m位はあったでしょうか。こんな巨大な木製戦艦大和を見たのは初めてでした。当時の私が作っていたのはブラスチック製の長さ30cm位の戦艦大和でした。子供ながら「こんな大きなも組み立て模型を買ってもらえるなんて。」と、とてもうらやましく思いました。ミカン狩りよりも戦艦大和の方が気になったことを覚えています。

   小道脇の小さなお地蔵様      ここから大島に出航した連絡船
 

 大島の小松港に出航した旧桟橋跡を探しました。しかし、場所は特定できましたが旧桟橋跡はありませんでした。次に、お地蔵様1を訪れた後、石神漁港のトイレ兼展望台に行きました。その展望台に登ると、海岸,笠佐島,石神漁港,そして大島大橋がよく展望できました。続いて、鳴門神社に向かいました。お祭りがあったのでしょうか、拝殿の中に三基のお神輿が並んでいました。鳴門神社は俄祭りがとても有名とのことですが、私はまだ見たことがありません。

       柳井市大畠の史跡巡りのため下見したコース


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史跡巡りウォーキングクラブ設立11年目(令和4年の史跡巡り予定)

2022年02月04日 | 歴史探訪他ウォーキング

 今年も、もう2月になってしましました。今年は史跡巡りを主体とするウォーキングクラブを立ち上げて11年目になります。今年も、クラブ会員の皆さんが楽しめる史跡巡りを計画しています。今年の史跡巡りウォーキング予定は次の通りです。

1月:平生町昭和30年代の史跡巡り  2月:柳井市大畠の史跡巡り
3月:光市室積の史跡巡り      4月:柳井市伊保庄の史跡巡り
5月:厳島弥山等史跡巡り      6月:平生町赤子山周辺史跡巡り
7月:柳井市黒杭ダム周辺史跡巡り  9月:光市岩田周辺史跡巡り
10月:岩国市銭壺山周辺史跡めぐり 11月:田布施町西山周辺史跡巡り

         柳井市大畠周辺史跡巡り時の光景(2月予定)


     史跡巡りウォーキングクラブ 令和4
年の計画(予定)

 月       日           (基本第3日曜日)
1月 16日       平生町昭和30年代の史跡巡り 実施済み
        Maxvalue~平生座跡~久賀島神社~旧郵便局跡~法雲寺~
        永大運動場~曽根小学校跡地公園~平生民俗資料館~Maxvalue

2月 20日       大畠史跡巡り  下見済み
                            JR柳井駅~JR大畠駅~大畠観光協会~鳴門神社~長泉寺~
                            大畠小学校~大師堂~遍照院~大畠中学校~JR大畠駅~JR柳井駅

3月 20日       光市室積史跡巡り
        室積Maxvalue~金毘羅社~お地蔵様~妙宝寺~かんぽの宿~
                  長安寺~お地蔵様~光寿苑~大隅稲荷大社~室積Maxvalue

4月 17日       柳井市伊保庄史跡巡り
        伊保庄11PM~行者堂跡~金毘羅社跡~疫神社~荒神社~馬牧場~
        斎藤牧場~十王堂~柳井南小学校~老猿~黒島海岸~伊保庄11PM

5月 15日       厳島史跡巡り
        JR田布施駅~JR宮島口~宮島フェリー~紅葉谷公園~弥山~
        大日堂~弥山~紅葉谷~宮島フェリー~JR宮島口~JR田布施駅

6月 19日       田布施~赤子山史跡巡り
        交流館~たぶせ保育園~牛嶋板金~赤子山~沼八幡宮~竪ヶ浜~
        熊毛南高校~菅原神社~ピクロス~田布施町郷土館~交流館

7月 17日       柳井市黒杭ダム史跡巡り
        石井ダム~柳北小学校跡地~美人地蔵~黒杭川ダム~龍岩神社~
        落合橋~菓子之季~琴石名水地蔵尊~石井ダムパーク~石井ダム

8月  お休み

9月  18日    岩田~島田史跡巡り
        JR田布施駅~JR岩田駅~大和寺~岩田小学校~正法院~正義霊社~
        立野神社~向山文庫跡~宝珠神社~JR島田駅~JR田布施駅

10月 16日 銭壺山周辺史跡巡り
        JR田布施駅~JR由宇駅~銭壺山~由宇歴史民俗資料館~JR由宇駅~
        ~JR田布施駅

11月 20日    国木~西山~真殿史跡巡り
        国木小学校跡~大師堂~西山~守田農園~妙見神社~真殿大師堂~
        国木小学校跡

12月 お休み

注1)当日が雨天の場合、次週日曜日に延期します。次週日曜日も雨の場合は中止します。
注2)9月~11月は地域のお祭り等と日付が重なることが多いため、ウォーキングの日付やルートを変更することがあります。

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昭和30年代の平生町の面影を巡るウォーキング(5/5)

2022年02月03日 | 歴史探訪他ウォーキング

 水越から平生町街に入りました。下見の時に大内川沿いが工事中であることが分かっていたため、いったん野島神社の東側に向かいました。そして、大内川に架かる橋を渡って旧国道188号線を大内川上流に向かって歩きました。お地蔵様4を見た後、少し歩いて大内川に別れをつげました。そして、私が幼児の頃に通園していた旧平生保育園跡に行きました。旧保育園時代の名残りなのか錆びたブランコがありました。今考えれば、よくもまあ田布施町麻郷から歩いて通っていたなあと思います。当時は、子供も大人も何処に行くにも歩きでした。祖母がいた平生町人島を中継して麻郷高塔の我家と旧平生保育園を毎日のように往復していました。

      最後に南蛮樋などがある平生町歴史民俗資料館に立ち寄る


 ところで、その昔大内川沿いに山田薬局がありました。その薬局は縁戚にあたります。昭和20年代にその薬局の方はお産婆さんをしていました。私が幼児の頃、その薬局近くの家に何故だか入り込んだことがありました。その家では賑やかな結婚式が行われていました。その賑やかさに興味がわき、吸い込まれるように入り込んでしまったのです。その結婚式は、自宅で行われる和式の結婚式で、お嫁さんが角隠しをしていたことを覚えています。そして、婿と嫁に向かう左右の二列があり、対面するように紋付袴をした20~30人の男達が座っていたことを覚えています。親戚でもない私が、なぜ追い出されなかったのか今考えれば不思議です。婚姻した親戚の子供と勘違いされたのでしょう。その時に結婚した嫁婿は今、80歳代後半になっているはずです。

  野島神社東側階段    大内側沿いのお地蔵様4   旧平生保育園跡
  

 旧平生保育園跡を出ると、平生町庁舎の裏道を通って熊川に出ました。幼児時代の私は熊川に架かる橋を渡った後、旧平生座方面に歩いて帰りました。今回は、熊川を上流方面に向かって歩きました。川沿いの歩道を歩いて、祠を右に見ながら郵便局前に出ました。そして、横断歩道を渡って平生町歴史民俗資料館に向かいました。その途中、私がよく行った旧習成小学校跡地を訪れました。私はこの小学校には入学しませんでしたが、従妹達が入学したので学芸会や運動会を見に行きました。木造校舎や木造講堂などを思い出します。 

   熊川を上流に向かって歩く      広々とした旧習成小学校跡地
 

 旧習成小学校跡地を訪ねると、すぐ近くにある平生町歴史民俗資料館に向かいました。予想はしていましたが、コロナ惨禍のため休館中でした。そこで、どんな遺物が展示されているのか皆さんに紹介しました。そして、床下に展示してある回天の胴体の場所まで行き、回天について説明しました。なお、この史跡巡りウォーキングクラブでは、3年ほど前に大津島の回天記念館を訪ねました。回天の説明が終わるとスタート地点に戻りました。ウォーキングに参加された方々お疲れ様でした。来月は大畠周辺の史跡を巡る予定です。

     昭和30年代の平生町の面影を巡るウォーキングのコース

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古いTELEVIAN製真空管ラジオの調査(3/x)

2022年02月02日 | 古ラジオ修理工房

 あれこれと忙しくて、私の元々の趣味であるラジオ関連の修理や組み立てができませんでした。1年半ぶりに古いTELEVIAN製真空管ラジオの修理を再開しました。今回は、このラジオに使われるスピーカーの動作確認をしました。もし故障していれば修理をします。初期の真空管ラジオは本体とスピーカーが分離していました。スピーカーは今、ダイナミックスピーカーが標準です。しかし、真空管ラジオ時代はインピーダンス抵抗が高いマグネチックスピーカーが主でした。ダイナミックスピーカーもありましたが、出力トランスが必須でした。今回点検した真空管用スピーカーは懐かしいマグネチックスピーカーです。私が子供の頃、マグネチックスピーカーからU字型磁石を取り出して遊んでいました。

     古いTELEVIAN製真空管ラジオのマグネチックスピーカー


 スピーカーの裏ブタを外すと、ボロボロのコードが出てきました。昔よく使われていた被覆線でしたがその被覆があちこちで剥がれていました。銅線があちこちで露出していました。真空管の出力電圧がかかるため、感電や漏電対策のため、新しいコードで修復する必要があります。テスターでスピーカーの抵抗を測ってみました。すると、約1Kオームでした。断線していなくて良かったです。断線していない証拠として、抵抗を測っているとテスターの電流がわずかに流れるのかスピーカーからゴソゴソと音が出ました。後日コードを新しいものに変えればOKです。

 別置き型のスピーカー    スピーカーの駆動部    テスターで抵抗測定
  

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昭和30年代の平生町の面影を巡るウォーキング(4/5)

2022年02月01日 | 歴史探訪他ウォーキング

 旧永大産業グラウンドを出ると、旧曽根小学校跡地に向かいました。その跡地は今、校舎跡地は公園になっており運動場跡地には工場が建っています。公園は芝生で覆われ、トイレもあり、座るテーブルや椅子もあります。私は椅子に座って昼食休憩をとりました。しかしながら、風が冷たく日差しもなかったため、早々に休憩を済ませて塩田跡地に向かって歩きました。

       清岸寺のご住職にお寺の成り立ちなどのお話を伺う


 旧曽根小学校跡地から数百m佐賀方面に向かうと塩田跡地が見えてきました。今はゴルフ場、太陽光発電所、そして熊南総合事務組合資源活用センターとなっています。最初にゴルフ場横を通って熊南総合事務組合資源活用センターに向かいました。途中、対岸に旧ビッグジョン製縫工場跡地を見ながら歩きました。しばらくして、熊南総合事務組合資源活用センター横を通りながら太陽光発電所に向かいました。だいぶ昔のことですが、この近くに日野電気の工場があったように思います。その跡地がどこだったか分かりません。塩田跡地を出ると、平生町街に戻ることにしました。

 旧曽根小学校跡地碑    対岸にビッグジョン跡     つばさ保育園
  

 塩田跡地からしばらく歩いていると、つばさ保育園、曽根公民館、そして平生中学校が見えてきました。私が幼児の頃、曽根と平生町大野の間にあった二階長屋に祖母、叔母、従妹達が住んでいました。その長屋の二階に住んでいました。長屋の共同井戸があったように記憶しています。私が小学二年の時、その親戚はブラジルに移住してしまいました。子供ながら、従妹達がいなくなって寂しかったことを覚えています。5年位前、その従妹の娘がサンパウロとの事業交流で来日しました。

   新町南の清岸寺の山門          平生小学校近くの水越
 

 平生中学校の南側を歩いてしばらくして、大井川の橋を渡って清岸寺に向かいました。山門を渡って本殿に行きました。ご住職に拝殿内を案内していただきました。そして、親鸞聖人の生涯か書かれた聖画などの説明をしていただきました。ありがとうございました。清岸寺を出ると、平生小学校近くにある水越に向かいました。水越から道を左に曲がって、平生町街の小道に入りました。

      昭和30年代の平生町の面影を巡るウォーキングのコース

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