東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

数年かけて雑木林やケヤキ林を整理、畑か広場に

2022年02月08日 | 樹木,果樹

 年を重ねると、山や畑の管理が重荷になります。そこで、数年かけて山は植生をなるべく単純化し、太く高い樹木はすべて伐採する計画を立ています。跡を継ぐ息子の負担にならないためにも。高い樹木は、いずれ台風などで倒れるリスクが高まります。倒れれば、電線を倒したり,道を遮ったり,家屋などに被害が及びます。対策は今しかありません。個人で対処するには、体力と時間が足りません。それに危険のリスクもゼロではありません。そこで、シルバー人材センターに伐採などをしてもらっています。とは言え、費用も掛かりますので一年では実現できません。毎年少しずつ木々の伐採・整理をしてもらおうと思っています。

        樹を20本位伐採をしてもらい、明るい広場に


  我家の周りに大木がたくさん生えている理由は、亡き父親が樹を植えるのが好きだったことと、樹に対する思い入れの世代差があることです。亡き父親(大正生まれ)の世代は、子供が大きくなって家を建てるための建材用に植林していました。私が幼児の頃、私のために杉の苗をたくさん山に植えていました。その植林を手伝ったことを覚えています。そもそも、我家は桃園を経営していました。収穫した桃を、そのまま食べる美品と缶詰にする形の悪い桃を選別しては出荷していました。そして、釜戸での煮炊き,暖房,風呂焚きなどに我家の木を使っていました。木々に囲まれ、木に頼った生活でした。

    この範囲の木を全て伐採     伐採した樹は一ヵ所に集積
 

 ところが、時代の変化と共に木が必要ない生活になってしまいました。釜戸はガスレンジや電子レンジに、暖房は石油ストーブやエアコンに、風呂焚きは電気に・・・と。今は木は必要ない時代になってしまいました。必要があったとしても安価な外国産木材に置き換わってしまいました。しかし、亡き父親は「いつか役に立つ。」との思いで植林を続けてきました。今、その後始末をするのが私なのです。

    その昔、酪農のため乳牛を30頭ばかり飼っていた旧牛舎

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