東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

柳井市大畠周辺の史跡巡り下見ウォーキング(4/5)

2022年02月11日 | 歴史探訪他ウォーキング

  大畠ふれあいビーチでの昼食休憩が終わると、大畠ふれあいビーチ近くにあるはずの大師堂を探しました。しかし、どこをどう探してもありません。そこで目を落として足元を丹念に探すと、大師堂が建っていたらしい礎石の跡がありました。車が行き来する国道を渡ってお世話するのは危険です。そのため、近年お世話をする方が絶えたのではないでしょうか。建物を綺麗に撤去して、お地蔵様などは別のお寺に安置したのではないかと思います。

        山上に並んだ遍照寺の八十八ヶ所のお地蔵様の一つ


 ところで、大畠ふれあいビーチ前の国道188号線向かい側に、昭和39年まで50年間旧鳴門小学校があったそうです。その小学校があった頃、大畠の子供達は街の端にあった旧鳴門小学校に通ったのでしょう。旧鳴門小学校跡地は今、市営住宅になっています。次に、国道188号線を戻って赤い鯛のトイレに行きました。

 国道沿いの鯛のトイレ    戒善寺の石階段      旧道のお地蔵様6
  

 赤い鯛のトイレはとても目立ちます。私も時々国道188号線を通って周防大島や岩国などに行きます。最初は金魚かと思っていました。続いて、国道188号線の横断歩道を渡って旧道に戻りました。旧道に戻ると、国道188号線の車が行きかう喧騒が無くなり静かになりました。しばらく歩くと、戒善寺の長い石階段を登りました。本堂を拝むと石階段を降りて、再び旧道を歩きました。

   線路を目の前にした大師堂      鳴門小学校南線路脇の大小の祠
 

 旧道を少し歩くと、立派なお地蔵様6がありました。このお地蔵様6から、旧道に別れを告げて丘に向かう道に入りました。少し歩くと線路が見え、その右側に大師堂がありました。大師堂は綺麗に掃除されていました。今でも近隣の方が守っているに違いありません。線路を過ぎてすぐ、鳴門小学校がありました。鳴門小学校の南線路脇に大小の祠があります。面白いのは、道に向かってではなく線路に向かって祠が配置してあることです。元々は海に向かって配置してあり、その後祠の前を線路が開通したのかも知れません。

         柳井市大畠の史跡巡りのため下見したコース

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