すぷりんぐぶろぐ

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はき出してかき回す

2010年11月12日 | 読書
 『灯し続けることば』(大村はま著 小学館) 

 「学習指導の常識」という言い方はないかもしれないが、私たちが指導に関して持っている通俗的な知識を鮮やかにひっくり返してみせる痛快さがある。
 数多く触れているわけではないが、この教育界の巨星の本を読んで、いつも感じるのはそこである。
 
 スタートラインが一緒で、同じ教材で、同じ方法でしたら、同時にゴールに入らないのがあたり前です。
 
 この一つをとっても、その重みを私たちはどのレベルで理解しているだろうか。
 この自覚をどこまでも指導に生かそうと努めたのが「大村単元学習」ではないか。戦後の新制中学で、古新聞紙を使って一人一人に自作の教材とちびた鉛筆を手渡す著者に、自らの信念をどこまでも事実で示す気概をみる。

 その精神は、例えば総合的な学習の時間の好例に生きていると思うのだが、そればかりではなく、地道な日常の教科学習の中に刷り込ませていなければならない問題でもある。

 それは、個別的課題設定や個別指導という問題だけではないだろう。
 ゴール設定をどうするのか、という目標や評価に大きく関わることだし、そのためにどのような形態をとるのか、といった具体性まで当然視野に入れなければならない。
 教職として正面で受けとめるべき至言だと思う。

 ことばに対する心がけの言葉にも、姿勢を正させられる。それは具体的な行いとして示されるので、いつも明快だ。

 最初に頭に浮かんだことばは、捨てます。  

 「きれい」とは言わないことである。

 頭に浮かぶことを次から次へと頭がからっぽになるまで、「書くことがない」というところまではき出していくのです。
 
 そうやって、ぐるぐるかき回すことでしか「大切な思想を引き出す」ことはできない。

 まだまだである。