すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

意味を教えるよりも

2010年11月28日 | 読書
 『子育て貯金箱』(伊藤善重著 新風舎)を読み終えた。

 この本を一言で語るのは難しいが、読めばおそらく「なんだか怪しげな」という印象を持つ人も多いかもしれない。
 それはとにもかくにも「戸塚宏」の名前と実践が強調されているという理由になるだろう。
 多くの出版社がそれを理由に断ったという。あのソニーの井深大氏の推薦があったにもかかかわらずである。
 
 まだ消化しきれない部分も多いが、触発された本であることは確かだ。
 それは例えば、こんな文章である。

 思考力を育てるには、語彙を豊富にすることが極めて大切です。そのためには、単語の意味を教えず、使い方だけ教えるのが効果的です。 

 文字、読み、意味という三点セットで教えることは正当といえるのだろうか。
 若い頃はあまりに普通すぎて疑いもしなかったが、実はそういう方法から段々と自分は離れていった傾向もあったな、と振りかえることができる。

 それは教育界の流行?になる前から少し取り組んでいた、素読、速読であったり、辞典を使った指導であったり、そんなところで顔をのぞかせていたように思う。
 杉渕実践や内田樹氏の「SCANする力」という文章に強く惹かれたこととも大きくつながっている気がする。
 
 意味や理由にこだわることで、肝心な能力、感覚が育つための時間を減少させているのではないか。
 こうした考えはあまりに短絡的だろうか。思慮が足りないのだろうか。危ういのだろうか。

 戸塚宏が著した『本能の力』を再読してみようと思っている。
 3年前にはこんなことを書いていた。 
 http://blog.goo.ne.jp/spring25-4/e/8639e68fcd7f2236eed76168c138099b