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結構怖いトラウマとは

2010年11月19日 | 雑記帳
 トラウマって言葉を初めて目にしたのはいつなんだろう。
 たぶん、大学の心理学のテキストかなにかだろうと思う。
 文字よりも先に聞いたのだったら、「虎の顔をした馬」とか「ゼブラの変形」とか思ってしまう性質なので覚えているだろうから、きっと教科書っぽいもので文字として見たに違いない。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E7%9A%84%E5%A4%96%E5%82%B7

 それはそうと、その言葉を聞いてあれっと思った瞬間を覚えていることがある。
 かなり以前の話だが、自分がかつて受け持った子(もちろん成人した)が
「小学校時代に先生から受け持ってもらったことがトラウマになって…」
と衝撃的なことを吐いたのである。

 ええっと思ったが、ここでは「心的外傷」に関する詳しい理解もないままだったので、反論もケアもできないままだった。
 まあ今思い返しても、その使い方はないんじゃないの…という程度なので、大勢に影響はないだろう(そう思い込もう)。

 このように、簡単に「トラウマ」を連呼することが増えたんじゃないかなという気がしている。
 「傷つきやすい症候群」とやらが、単なるその場の傷でなく、ずっと跡まで残るようなイメージをもって、心配したり不安がったり、そして他人を責めたりしているのではないか。

 いっぱい傷をつけて大きくなれ!その数が勲章なんだよう!と大きく叫んでやりたい気もするが、それを到底できないと思ってしまうのは、何故なんだ。

 トラウマか?  
 何の? 
 そういうのは意気地がないだけなんだよ。

 新しい言葉にとびつくのは、今までにない現象が出てきたなら仕方ないが、トラウマと呼ばなくてもいいことを、いや正確にはトラウマでないものをそう呼ぶ事で実際の症状が改善できるのだろうか。
 その言葉自身によってずぶずぶと傷を大きく感じてしまう、そんな悪い回転になっているのではないか、

 さて、今回ある冊子を読んでいて、マイクロトラウマという新しい言葉を知ったのは収穫だった。
 アメリカの臨床心理学の専門家たちの中で流行語のように使われているらしい。
 「小さな嫌な経験を何度も受けることによって生じる心の傷」というとらえ方である。
 例を見ると、生活の様々な場面でマイクロトラウマにつながる言葉かけはある。積み重ねられる性質のものは結構怖いと思う。