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不自然と無理を重ねる

2010年11月20日 | 雑記帳
 ぎょうせいで発刊している月刊誌『悠+』12月号の特集は、「言語活動でつくる“考える”授業」である。
 巻頭論文に続いて事例がいくつか続き、最後に提言として野口芳宏先生が執筆されている。

 「教師の言葉力を鍛えよう~教授話法を中心に」 

 先生ならではの内容であるし、先生ほどこの提言にふさわしい方はいらっしゃらないだろう。
 こうした内容は何度か読んでいるはずとは思いつつ、一番にそのページをめくってみる。

 「まずは教師自身の言語活動が前提」…何事にもそういう構えを崩さずに私たちを導いてくれる先生の文章には、同じテーマであっても必ず新鮮なキーワードが提示される。
 そこは本当に凡人には遠い境地である。
 今回、私の心をとらえた言葉はこれである。

 価値ある不自然  価値ある無理

 公務として授業で語られる言葉は、「常より大きく、常よりはっきり、常よりゆっくり」あるべきである。
 それは、たしかにある程度不自然であり、多少の無理をしていることだ。
 しかし、そのことによって子供に届くわけであり、そこでの「自然」や「普通」はいわば、構えのなさ、工夫のなさを示しているに過ぎない。

 「自然でさりげない話し方によって心に染みた」などという言い方を聞くことがあるが、それらは達人、名人の話である。
 しかもそうした方々は、不自然と無理を重ねたことによって、そう感じさせないものを身につけたに過ぎないのではないだろうか。

 勘違いしてはいけない。
 まだまだ不自然と無理を重ねなければならない。