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「子どもをみる」を整理する

2010年11月09日 | 読書
 「子どもをみる」と言ったときに、まず自分が挙げる本は上條晴夫氏の著した『実践・子どもウォッチング』(93年刊 民衆社)である。
 この本から、学習場面を中心に学校生活における子どもの表情、動きについての見方を多く学んだ。意識的に子どもをみる大切さに気づかされた本でもある。

 『子どもをみる24の発想』(家本芳郎著 民衆社) 

 上條氏の著より3年も前に出されていたが、残念ながらめぐり会っていなかった。学習の場に限らず子どもの生活全般を対象としているといってよい。同じ民衆社が当時出版していた「シリーズ 教育技術セミナー」の一冊である。
 
 実に素晴らしい内容の本であった。
 「子どもをみる」ことの大切さは、誰しも説くことだし、自分でもずいぶんと立派なことを言ったり書いたりしているが、これほど広範囲に、これほど明確でわかりやすく、しかもしっかりとした筋をもって書かれたものはあまりないのではないか。
 改めて、家本教育実践論の幅広さ、深さを見る思いがした。

 20年前と今では子どもの質の変化もあろうが、基本的に不変の部分も多く、十分に今でも通用する箇所が多い。
 特に「子どもをとりまく文化をみる」という章。ここは考えさせられる。
 発刊当時と大きく異なるネット文化の定着によって、学校は日々対応を迫られている。
 低俗なものが多い、子どもたちは翻弄されているという見方は一面で正しいが、そう決めつける前に私たちはそういう子どもの価値観をきちんと分析できているか、という問題があるだろう。
 この本に書かれている「その文化をみる視点」は4つである。

 ①なにが子どもたちにとっておもしろいのか、魅力なのか
 ②子どもたちのどんな願いや要求や理想をみたしているのか
 ③子どもたちのどんな心象を投影しているのか
 ④子どもたちのどんな伸びる力、生きる力を励ましているのか
 

 親や教師は、発達段階に合わせて強制力を行使することも必要である。しかしその方法として、邪魔に思えるものは分析・検討もせずに遮断することのみに目を向けていては、結局のところ子どもの育ちに資する文化を作り出したり、与えたりすることはできないのではないか。
 もっと対象に近づいてみる、多面的にみてみることが必要だろう。

 また、学校や学級が独自の文化を創り出すことについて、現状はずいぶんと窮屈な体勢になっていることも否めない。
 自由度を上げることがもっとも肝心である。
 これは、職員個々の精神の問題でもあるし、仕事上の工夫として実践に刷り込んでいく問題であるかもしれない。

 「子どもをみる」視点を順序立てて考えると、それは周りの大人をみる視点であり、学校や家庭をみる視点であり、地域や政策までにつながることを、もう一度整理しなければ…そんな気持ちでいる。