すぷりんぐぶろぐ

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文明を運ぶ文化

2010年11月24日 | 雑記帳
 日曜夜に見たNHKスペシャル『天空の一本道』が心に残った。

 先月、BSで冒頭だけ見た記憶があったので、あああれだと思いながらつい最後まで見入ってしまった。

 http://www.nhk.or.jp/special/onair/101121.html

 洗濯機を背負い、三日もかけて絶壁のある山道を歩いて自分の村まで帰るという暮らし…映像で見ただけではむろん理解できないことも多いだろうが、何故という問いが次々と出てくる。

 どうしてそこに住み続けるのか
 どうしてテレビで見る暮らしに憧れないのか
 どうしてそんな(危険な)選択をするのか

 そう言語化して気づくのだが、自分がもしそんなふうに問われたら、どう答えるのか、的確で強固な言葉を持っているのか、ふと揺らぐ心も確かにある。

 いくら不便でもそこに住み続けるのは、自分が居る場所だと思うから。それが幸せに通じると信じているから。もしくは離れるだけの気力がないから…。
 テレビで見る暮らしに憧れても、すぐに距離は縮まらないことを知っている。少しずつ少しずつ近くなってくるものだ、という認識を持っているから。

 これは、そのジョラサ村に住む人々の気持ちを代弁したわけではないが、この程度にしか予想できない。
 いずれ、もっと強い信仰のようなものが心を支えているのだろうが。

 妻が欲しがったという洗濯機。それは今確かに幸せの象徴なのだろう。それを黙々と背負って歩む夫。
 考えてみると、対照的とも言える「物品の便利さ」と「強靭な体力で危険を冒して運ぶ難儀さ」がミックスされている。

 文明を運ぶ文化…この落差に戸惑いを感じたのは私だけだったろうか。
 そして、おそらくは文化は文明に蝕まれていくだろう。
 いや、そんな軽率な結論付けはできないか。
 ジョラサ村の文化とは私たちが考えるそんなひ弱なものではないかもしれない。

 ふと、良作と名高い中国映画「山の郵便配達」を思い出した。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E3%81%AE%E9%83%B5%E4%BE%BF%E9%85%8D%E9%81%94

 何かを伝える、届けるということは、幸福につながるとても大きな行為だと思う。
 内容そのものが大事であることは言うまでもないが、もしかしたらそれ以上に、手段が何であるか、どうであったかは、伝える側にとって途方もなく大きい問題ではないかということを、今さらながら考えさせてくれる。