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こだわりを求める、こだわりを捨てる

2010年11月07日 | 読書
 『経験を盗め~奥の深い生活・趣味編』(糸井重里 中公文庫) 

 15編の鼎談集。「人はなぜ旅に出るのか」から始まり、ペット、ダジャレ、通販、ラーメン…「脱・東京の住み心地」まで、様々なジャンルが並ぶ。
 興味深い話が満載である。大げさに言えば「生の満喫」といった面持ちであった。

 ここに登場する面々を、一言で括ってしまうと「こだわりの人」ということになろうか。

 そもそも「こだわる」という言葉は、あまりいい意味を表す言葉ではない。固執、拘泥といった熟語が示すような、つまらないことに必要以上に気をつかうということだろう。

 それがいつの頃からか、「価値の追求」という面に重きが置かれ、プラスイメージが強い言葉として受け取られるようになった。
 「こだわりの逸品」「鮮度にこだわる」といった言葉は日常的だ。
 もちろん、負の面でも頻度は高く「そんなに、こだわるなよ」「こだわりを捨てろ」など十分見聞きしている文句である。

 この言葉の多義性を認めつつ、自分はどちらの「こだわり」が多いのかと考えてみる。
 自分には何かに集中したこだわりと呼べるものがあるだろうか。
 絶無とは言わないが、自信をもって何々とは宣言できない。

 ここに登場する方々のこだわりの中味は、仕事、趣味、生活スタイル等々様々であり、その対象に向かう姿勢も多様である。ただ明らかに共通するのは、対象へ向ける思いの強さだ。
 「好き」ということが基になる感情であることは確かだが、それだけではない。やらなければいけない状況に陥った例もあるが、どこか自然体で切り抜けているように見える(当事者はそう感じてはいないだろうが)。

 それはやはり、他者や周囲への気兼ねという部分をすっぱり切っているからではなかろうか。

 こだわるためには、こだわりを捨てなければ…

 奥の深い生活・趣味を望むのなら、そこに入ったまま他人から呼びかけられても出て行かない、返事をしない、知らんふりをする…奥までいくのなら、そうするしかない。

 ああ、また引きとめる声が聞こえる。