『「黄金のバンタム」を破った男』(百田尚樹 PHP文芸文庫)
あれは小学校3,4年の頃だったろうか。
学校の体育館に集められた全校児童の前に、一人のボクサーが姿を現した。
東洋ジュニアフェザー級チャンピオン、石山六郎。
この町に生まれ、この小学校の卒業生であった。
時の東洋チャンピオンの凱旋である。詳細な記憶は薄れているが華やかな印象として残っている。さらに言えば、私の実母の従弟筋でもあったため、晴れがましい気持ちも湧いていたのだった。
そんなふうに昭和30年代から40年代にかけては、ボクシングが一つの国民スポーツとしてあったと思う。
その頃、一世を風靡したファイティング原田の戦いを中心に据えながら、その前後、周囲を丁寧に描いたノンフィクションがこの著である。
驚くのは、そのテレビ視聴率の高さである。
昭和34年の普及率や調査方法がどうなのか多少疑問は残っても、矢尾板貞雄VSスカル・ペレス戦の残した視聴率は凄いの一言でしかない。
92.3パーセント
この歴代1位の突出すぎた数字は別にしても、原田の時代の世界戦などは軒並み50パーセント超。この話の中心となる「原田VSジョフレ」戦は67.3パーセントであり、歴代の高位を占めているのが、当時のボクシングなのである。
懐かしい名前もずいぶんと登場した。
白井、矢尾板は解説者としての馴染みが深い世代であるが、海老原、沼田、西城…、斎藤清作という名が「タコ八郎」だと知ったのは結構過ぎてからだったが、そのキャラクターも思い出深い。さらに漫画「明日のジョー」のエピソードにつながる指摘も興味深い。
個性的な小説で発揮している著者の筆力を十分に感じさせる力作だと思う。
大学時代ボクシング部に在籍したこともあるという、このスポーツを愛する著者は、その時代の素晴らしさを描きながら、冷静にそれ以降のことを分析してみせる。
ボクシングという競技が人々の心を摑めなくなったともいえる。
これは経済発展、社会生活の変貌に伴う「人々の心」の変化とも符合するのではないか。
原田のボクシングスタイルに象徴されるようなファイティングさを持ち得なくなっている…そんな単純なものではないだろうが、下地としてそういう流れはあるかもしれない。
柔道や他の格闘技などを見ても、どこか大人しく、細分化された評価点が浸透してきて、単純に見る側にとっては退屈に思えてきたりしている。
しかし、そうは言ってもそれは時代の流れだとわかる。
この著にあったボクシングができた当時の様子にはちょっと驚かされ、考えさせられる。初めはフットワークを使ってかわしたり逃げたりしていなかったというのだ。まさに「拳闘」の世界が始まりなのだ。
持って回った言い方をすれば、格闘技においても、強いかどうかを単純な要素で決定しない…つまり生き残れる方が偉いのだという論理が大きく幅を利かせるようになるのが、歴史というものだ。
と、どうでもいいことを考えながら、つくづくこの本は「黄金の時代」を描いているなあ、と題名の「黄金」とはかかわりなくそう思う。
ブームのようにもてはやされる時期の輝きを見た気がする。
そうして今は…。
石山六郎は、ちょうど一年前に65歳でその生涯を閉じていた。
悲しいことに私の周囲では、誰の話題にもならなかった。
あれは小学校3,4年の頃だったろうか。
学校の体育館に集められた全校児童の前に、一人のボクサーが姿を現した。
東洋ジュニアフェザー級チャンピオン、石山六郎。
この町に生まれ、この小学校の卒業生であった。
時の東洋チャンピオンの凱旋である。詳細な記憶は薄れているが華やかな印象として残っている。さらに言えば、私の実母の従弟筋でもあったため、晴れがましい気持ちも湧いていたのだった。
そんなふうに昭和30年代から40年代にかけては、ボクシングが一つの国民スポーツとしてあったと思う。
その頃、一世を風靡したファイティング原田の戦いを中心に据えながら、その前後、周囲を丁寧に描いたノンフィクションがこの著である。
驚くのは、そのテレビ視聴率の高さである。
昭和34年の普及率や調査方法がどうなのか多少疑問は残っても、矢尾板貞雄VSスカル・ペレス戦の残した視聴率は凄いの一言でしかない。
92.3パーセント
この歴代1位の突出すぎた数字は別にしても、原田の時代の世界戦などは軒並み50パーセント超。この話の中心となる「原田VSジョフレ」戦は67.3パーセントであり、歴代の高位を占めているのが、当時のボクシングなのである。
懐かしい名前もずいぶんと登場した。
白井、矢尾板は解説者としての馴染みが深い世代であるが、海老原、沼田、西城…、斎藤清作という名が「タコ八郎」だと知ったのは結構過ぎてからだったが、そのキャラクターも思い出深い。さらに漫画「明日のジョー」のエピソードにつながる指摘も興味深い。
個性的な小説で発揮している著者の筆力を十分に感じさせる力作だと思う。
大学時代ボクシング部に在籍したこともあるという、このスポーツを愛する著者は、その時代の素晴らしさを描きながら、冷静にそれ以降のことを分析してみせる。
ボクシングという競技が人々の心を摑めなくなったともいえる。
これは経済発展、社会生活の変貌に伴う「人々の心」の変化とも符合するのではないか。
原田のボクシングスタイルに象徴されるようなファイティングさを持ち得なくなっている…そんな単純なものではないだろうが、下地としてそういう流れはあるかもしれない。
柔道や他の格闘技などを見ても、どこか大人しく、細分化された評価点が浸透してきて、単純に見る側にとっては退屈に思えてきたりしている。
しかし、そうは言ってもそれは時代の流れだとわかる。
この著にあったボクシングができた当時の様子にはちょっと驚かされ、考えさせられる。初めはフットワークを使ってかわしたり逃げたりしていなかったというのだ。まさに「拳闘」の世界が始まりなのだ。
持って回った言い方をすれば、格闘技においても、強いかどうかを単純な要素で決定しない…つまり生き残れる方が偉いのだという論理が大きく幅を利かせるようになるのが、歴史というものだ。
と、どうでもいいことを考えながら、つくづくこの本は「黄金の時代」を描いているなあ、と題名の「黄金」とはかかわりなくそう思う。
ブームのようにもてはやされる時期の輝きを見た気がする。
そうして今は…。
石山六郎は、ちょうど一年前に65歳でその生涯を閉じていた。
悲しいことに私の周囲では、誰の話題にもならなかった。