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曲と生活する人

2012年12月22日 | 雑記帳
 昨日は勤務校で「あきたっ子グローバルビジョン~目指せ!未来の国際人」という会が開かれた。
 県事業としての企画を市教委が主催したもので、近隣の小学校から5,6年児童が集まり、外国と関わりを持った地域の職業人、学生を招いて話を聴くという内容だった。

 私には事前に、第一部全体会のゲストであるプロギタリストの柴田さんの聞き役をしなさいと依頼があり、その方とともにステージに立つことになった。
 トークの大まかな流れをこちらで作り、前もって承知していただいていたが、当日朝初めてお目にかかったので、詳しい打ち合わせはできなかった。

 それでも小学生相手になんとか70分間もたせられ、まずはほっとした。

 イギリスの音楽大学を卒業して、そのままロンドンを起点に24年間演奏活動をした方であり、演奏もさることながら、いろいろと興味深い話も少なくなかった。

 「難しい曲」についての質問が児童から出た時に、そういう難曲はいくつもあって挑戦しているが披露していないという話になった。
その過程を、柴田さんは次のように表現した。

 曲と生活する

 うわあ、凄いことばだなあと思った。

 フロアで聴いている小学生には無理と思いつつ、「曲と生活するってどんなことだろうねえ」と投げかけた形でまとめたが、これは大人でもどう解釈するか難しい。

 会終了後、廊下を歩きながら「身体化ということかな」と思いついた。
 校長室にもどって、少しの間、柴田さんにそのことについて訊いてみた。
 料理のことやアイススケートのことの例などを挙げて語ってくれたが、今ひとつストンと落ちた気はしない。
 いずれ私の思った「身体化」では、まだ技術的な解釈であることはわかった。

 この境地はきっと、真剣に一途に一つのことを追いかけた人にしかわからないのではないか…そんな思いが湧いてくる。

 つまり、曲とともに起き、食べ、動き、話し、眠る生活。それは、曲が頭から離れないというイメージではなく、溶け込んでいて、時々ふっとメロディが過ぎるような、心の中に消化されていくようなイメージだろうか。
 「寝食をともにする」という言い方もあるが、ある程度の時間をかけて、その曲のメロディやリズムが身体に宿ってから表現に向かう…

 いずれこれも頭で考えを巡らしたに過ぎない。
 そしてまた言葉で語りつくせない要素があるからこそ、音楽なり美術なりの素晴らしさが際立つことも思い起こす。

 わずか2メートルほどの距離で、プロの演奏を聴く機会などめったにないことだ。
 「演奏しているときの息遣いも聴こえてくるので、こちらが緊張してしまいました。」
と伝えると,ギタリストは笑ってくれた。