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2022年,まず自分が描いて

2013年12月14日 | 読書
 『2022―これから活躍できる人の条件』(神田昌典 PHPビジネス新書)

 この著者どこかで読んだなあ,ビジネス誌かなあと手にはとってみたが,ちょっと縁が薄そうだったので,棚にもどしかけた。
 その時,目に入った本の帯の言葉がそれを引きとめたのだった。

 ■全ての教師は本書を読むべき。そうしないと自分の教え子を,2022年に適応できない人間にしてしまう可能性がある。(40代・男性 小学校教師)

 【本書に寄せられた読者の方からの声】の冒頭に挙げられていた。
 そうか,それでは読んでやろうじゃないか…なぜかそんな気分になった。

 この新書が発刊されたのは去年で,それから10年後までの予測を入れながら,いわゆるビジネスチャンスを探る,個人のライフステージを作っていくために筆者が自論を展開している。

 さて,先の小学校教師の評価をどう受け止めたらいいか。
要はこの本からどんなエッセンスを取り入れられるかなのだが,それは若者向けならば,著者のこんな単純なことばが全てだ。

 こぢんまりと,まとまるな。
 つべこべ言わずに,世界に出ていきやがれ。
 それが,これから10年,キミが活躍するための条件だ。


 しかしいくら何でもこれじゃあ,総論すぎるでしょ,ということになる。

 具体的には,アジアへの目配せや歴史サイクル,企業寿命のことなど知識として身につけたい事項はあり,なるほどと納得のいくことも多い。

 しかし,やはり著者が一番言いたいのは,上のような言葉だし,2022年と掲げていても,結局は固定された場へ向かっての適応を求めていないことは確かである。
 そういう理念を持ち「小学校教師」が仕事をしていくには,もう少し現状を整理し,指導の質量を見直す必要があるなあと思ってしまう。
 さて,そんな余裕を持てるだろうか。

 教師の仕事として2022年に適応できる人間を育てるのは価値があるし,取りあえずの目標にはなるかもしれない。
 しかしまた,その基盤は教師自身が描く2022年のイメージであり,国家,社会,地域,職場,家庭,自分…と見渡し,予想し,部分的であってもその姿を描けること抜きには成立しない。

 「先行きが不透明」という言葉をよく使ってきたように思うが,それは言い訳であったことを認めよう。