わずか4ページ足らずのインタビューだが、明快な主張が伝わってくる。
読み終えて、ふうっとため息をつきたくなるほどだ。
『総合教育技術』(小学館)の今月号の冒頭は作家曽野綾子へのインタビューである。
教育再生実行会議の委員を辞任した理由から始まる。
制度を作れば問題が解決するという方向への批判である。氏はこう語る。
私は制度で教育はできないと思っているんです。
「いじめ」の肯定を前提とする教育は、そもそも今の流れとは異質と言えるだろう。
実際はその点を理解している人は多いのだが、広言できない息の詰まる環境が、今の学校教育の場ではないか。
二日前にだらだら書き記した「さらされなければ…」も、結局はそういう場の空洞化への危惧である。
氏のいわば「自己責任」と括る発想は、競争社会と結び付けられて語られることが多く、一面では危惧を覚えるが、それを踏まえてなお、学ぶ者の心がけとなり得る言葉がここにあった。
あらゆるものは独学なんです。
学びを自分から求めていく姿勢づくりこそが肝心と合意すること。
設備の充実や制度の改革ではなく、今必要なことは、教育の芯となるべき指針である。
母親から受けた教育のユニークさに、顔がほころんだ。
娘であった氏に、二つのことを書けなければいけないとはっきり言ったそうである。
よいラブレターを書けなければいけない。
うまく借金を頼める手紙を書けなければいけない。
かなり本質的なところをついている。
自分はどうだろうか、とちょっと昔のことを思い出したが、それはまた別のこと。
国語教育、そして「書く」ことを考えてきた者にとっては、十分励まされる声だし、強い味方はまだまだいると励まされる。
実は、本当に、ふうっとため息をついた理由は、最後の回答にある。
「管理職に向けてお伝えになりたいことはありますか」と問われ、次のように口を開いた。
本当に勇気がない。
その通りとしか言いようがない。
右を向いたり左を見たり、前後上下にできない理由を探したりしても、結局はその一言に尽きるんだよね、と息をつくしかない。
読み終えて、ふうっとため息をつきたくなるほどだ。
『総合教育技術』(小学館)の今月号の冒頭は作家曽野綾子へのインタビューである。
教育再生実行会議の委員を辞任した理由から始まる。
制度を作れば問題が解決するという方向への批判である。氏はこう語る。
私は制度で教育はできないと思っているんです。
「いじめ」の肯定を前提とする教育は、そもそも今の流れとは異質と言えるだろう。
実際はその点を理解している人は多いのだが、広言できない息の詰まる環境が、今の学校教育の場ではないか。
二日前にだらだら書き記した「さらされなければ…」も、結局はそういう場の空洞化への危惧である。
氏のいわば「自己責任」と括る発想は、競争社会と結び付けられて語られることが多く、一面では危惧を覚えるが、それを踏まえてなお、学ぶ者の心がけとなり得る言葉がここにあった。
あらゆるものは独学なんです。
学びを自分から求めていく姿勢づくりこそが肝心と合意すること。
設備の充実や制度の改革ではなく、今必要なことは、教育の芯となるべき指針である。
母親から受けた教育のユニークさに、顔がほころんだ。
娘であった氏に、二つのことを書けなければいけないとはっきり言ったそうである。
よいラブレターを書けなければいけない。
うまく借金を頼める手紙を書けなければいけない。
かなり本質的なところをついている。
自分はどうだろうか、とちょっと昔のことを思い出したが、それはまた別のこと。
国語教育、そして「書く」ことを考えてきた者にとっては、十分励まされる声だし、強い味方はまだまだいると励まされる。
実は、本当に、ふうっとため息をついた理由は、最後の回答にある。
「管理職に向けてお伝えになりたいことはありますか」と問われ、次のように口を開いた。
本当に勇気がない。
その通りとしか言いようがない。
右を向いたり左を見たり、前後上下にできない理由を探したりしても、結局はその一言に尽きるんだよね、と息をつくしかない。