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ありがちなシーンに惑わされるな

2013年12月02日 | 雑記帳
 週末に,とあるドラマをみていたら,こんなシーンがあった。

 自分のしたことを叱られた中学生の娘が反省せずに,母親に暴言を吐いた。それを聞いた父親が娘を殴る。

 まあ,よくありがちなシーンである。
 問題はこのあとである。

 娘はその場をとび出していく。
 そして父親は自分のした行為を,すぐに反省するのである。

 なんだかなあ,と思った。
 父親はどうにかして謝らなければいけないと思い悩んだりするのである。
 そしてその謝るポイントは暴力行為そのものよりも,いわば強く指導したこと自体を反省している様子なのである。

 結果,このドラマでは娘が先に謝らずに,親が先に声をかけることになる。
 もちろん,その前に娘が関わりのある第三者から諭されるような場があるにはあるのだが…。

 どうもすっきりしないなあ。
 テレビドラマで描かれるこうしたやりとりは,やはり今時の親子関係ということか。
 格好のいい俳優が扮している親であればなおさら,それが良い関係のように見えてしまわないだろうか。


 たまたま今読んでいる多胡輝先生の『しつけの知恵』(PHP文庫)に「『お母さんが悪かった』というセリフは,みだりに使わない」という項目がある。
 実に明快,深く頷ける文章である。

 私は,親子のあいだに一種の”仲間意識”を作ろうとする,子に対する親の甘えが,子に詫びるという行為になって表れているように思われるのです。

 そして,さすがに心理学の大家は,その結末をこう分析してみせる。

 親が子に詫びる行為は,親子のあいだにある「甘い関係」を示すどころか,親が子を,子が親を対立者として見ているという解釈も成り立ちます。


 親子は仲間でもなく,対立者でもない。
 ありがちなシーンが描く関係づくりに惑わされてはいけない。