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失敗を身体に取り込む

2013年12月23日 | 雑記帳
 「自分はなぜその時に即座にそのことを言えなかったか」…そんなふうに後から思い起こすことがある。これは例えばその人との利害関係とか信頼関係という視点以前に,「そのこと」に対する鈍感さと言えばいいのか,真剣さが足りないと言えばいいのか,つまりは「そのこと」が身体化していないからだと気づく。


 今回,ほんのちょっとした出来事があり,言えなかったことを悔やみ,タイミングを逸すると難しいなあとか,相手のよくないあれこれを思い浮かべたりしているうちに,結局,非は自分にあると悟ったことは収穫だった。気の散りやすい性格であることを自覚し,まずは,おのれの胸に手を当ててみる大事さを想う。



  この連休中に見たドラマの一つが妙につまらなく思えた。そしたら見るのを止めればいいのだが,途中から悪い?癖が出て,どうしてこのドラマはつまらないんだろう,ゴールデンに放送されているし,設定もひどく現実的なことを取り上げているのになぜだ…そんなことを見ながら考え始める。心に迫らない理由は?



 まずはありきたりな展開だ,さらに出ている役者を生かした脚本になっていない,上手い演技を期待できる顔ぶれではないが,それでもあまりにも下手。バック音楽もパターン化している。何より現実の苦悩が見えてこない。訴えたいことはあるのに,それが身体化を伴っていない感じがする。人間が立ち上がらない。




 「失敗」という熟語は,「失う・敗れる」という類義の言葉の組み合わせだろう。スポーツ,商売はもちろんどんな出来事であっても優劣がきまったり,勝負がつけられたりすることはある。しかし,肝心なことは全てがそこで終わらないという点である。その時点における失敗を身体の中に取り込んで,次の選択をする。