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プールが開く苦い思い出

2014年07月03日 | 雑記帳
 学校のプールにようやく歓声が上がった。ずいぶんと前にプール清掃はしたのだが,水質検査がなかなか出来ず,今までお預けだったので子どもたちは待ち遠しかったろう。昨日の全校集会では「マグロの身が赤いわけ」を話して,水泳で体を鍛えることにつなげた。今年も元気いっぱいにたくさん泳いでほしい。


 水泳の学習には,多少の思い入れがある。運動が苦手な自分がある程度できたのが水泳だった。しかし初めて勤めた山間部の学校にはプールがなく,隣校に出向いての指導だったので,その3年間は記憶にない。2校目に移った頃,民間教育団体の実践を知るなかで「ドル平泳法」と出会った。長い付きあいとなった。


 泳ぐとは何か,ということを考えさせられた。苦しくなったから息つぎをするのではなく,呼吸しながら進むという考え方は当時の自分には新鮮だった。いわゆる近代泳法とは違い,長く泳いでいると,水と一体化しているような感覚を味わうこともできた。そうした感覚を,子どもたちにも教えたいと強く思った。


 その思いを技能として伝える術は,はっきり言ってまだまだだった。だから実践した4つの学年全てで,全員25メートル達成ができたわけではなかった。大半は50メートル以上にはなり,泳げる子は3年生の時点でも何百メートルを越すのだが,最後の一人,二人が叶わないままにシーズンを終えてしまうのだった。


 病気だったり,体調を崩したりという理由はあったろう。他の子が次々と泳力を伸ばすなかで,遅れている子が意欲を持ち続ける配慮を出来なかった。自分で子どもにかかわろうとする気持ちが強すぎて,もっと他の子の力を借りるといった発想まで思い至らなかったのだ。今ならもう少しマシにできるかもしれない。


 当時,山間部の学校で水温が上がらぬうちでも「入りたい」という要望に応えて始めてみたり…今となってはかなり無茶なことをした。その結果,寒冷蕁麻疹が起きる身体になったというオマケつきで,しばらく前から全くプールには入れない。結局は苦い思い出なのだ。それを懐かしめるのは,一種の諦めか。