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「唯一」という表現が気に障る

2014年07月24日 | 雑記帳
 『総合教育技術』の8月号を読む。「リーダー力と教師力を高める夏休み!」という特集設定はよくある。しかし、それにつけた形容句は「1年間で唯一のチャンスは、こう生かす」。めくってみると「唯一、余裕のある夏休み」ということらしい。素直に頷けない気がする。「唯一」という表現がどうも気に障る。


 巻頭インタビューは鎌田實氏。「問題のある子」が増えているようだが…という質問に対する返答に頷く。「(あらゆる階層の集団で)10%ほどが、いわゆる“ちょっと変な人”として存在する」。それは前提であったことで、私たちの仕事の質が変わってきたということに想いを馳せねばならない。策はそこから。


 多賀一郎氏「ヒドゥンカリキュラム」の項で「何度指導しても整理整頓できない子がいたら、叱らないで『しゃあないなぁ』などと言いながら、先生が片づけてあげてほしい」とある。わかるなあ。「しかたない」とちょっとニュアンスが違うと言う。関西人以外ではどうするか。「まったく、もお」などはどうか。


 野口芳宏先生の連載は「偉人伝記の積極的活用」。偉人伝記を使った授業へ予想される反論として「教師の恣意に偏るのではないか」を挙げられた。それに対して先生はこう述べられる。「教師は教員免許状を取得した有資格者であり、その判断や見識はそれなりの権威を持つものである」…この自信が揺らいでいる。


 菊池省三氏の「特別講座」。夏休みに一学期の授業を束ねる方策の一つとして「5枚の写真」をもとにした自己評価があった。写真を取り上げる意味は特に明記されてないが、「現実」を切り取った視覚化が自分の実践を際立たせ、明確な評価に結びつくのだと思う。しっかりと向き合うためのいい足掛かりになる。