すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

山の畑,町の空地

2014年07月05日 | 雑記帳
 ボランティア委員会の子どもたちが,高齢者との触れあいの一環として農園活動をするというので一緒に出かけてみた。短時間ながら意義のある活動だったと思う。そこは,幼い頃の記憶が残る場所のすぐ近くにあった。実家ではわずかながら山間地に畑を持っていた。小学生当時に手伝いとして何度か足を運んだ。


 じゃがいも畑だったように記憶している。そして桐の木を何本か植えていた。自分の家ばかりでなく,他の家も同様にあり,広大とは言えないがある程度畑が広がっていた。今,そこへつながる道にはチェーンが回されて道止めされている。入口に井戸の跡らしきものが残っていた。何度ここで口を潤したことだろう。


 そこから町内にもどったら,妙に懐かしい光景を目にした。空き地で中学生が数人ボール遊びをしている。期末テスト期間なのだろうか。それにしてもこういった場面を何年も見ていなかったなあ,と思う。数十年前からだんだんと空き地が少なくなり,遊び自体もだんだん囲われてきた背景があったからだろう。


 そして今,また空き地が目立つようになり,そこへ子どもたちがもどってきた…と言いたいところだが,空き地には管理する看板が立ち,子どもの数は本当に少なくなりどこか忙しげな日常を送っているようで,空き地の子どもは皆無となった。件の中学生たちの行動もたまたまであり,もしかしたら明日叱られるか。


 山の畑も空き地のことも,過疎化の象徴なのかもしれない。しかし逆に都市化してきた結果であるようにも感じる。糸井重里は「都市化は,分業化であり,部品化である」と言った。空間としては確かに存在するが,そこに価値があるのか,見いだせるのか…自ら作り出せなければ,過疎の町の都市化は進行していく。