すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

新参者に振り回されて

2014年07月12日 | 雑記帳
 岩波書店の『図書』6月号に載っていた対談「芸術と科学の向かう先」は興味深かった。画家の横尾忠則と脳科学者の櫻井芳雄が語りあっている。「頭が先か、体が先か?」というテーマは考えさせられた。画家がキャンパスに向かう時の心身の状態はにわかに想像できないが、言葉ありきではないことは予想がつく。


 「言葉は新参者」という生物機能に関する発達の歴史は何を物語るか。「目で見る」といったいわゆる五感を使って生き、コミュニケーションをとってきたヒトは、新参者によって少しずつ蝕まれてきたのだろうか。そういう筋道をたどると、「頭」や「心」なんてものの脆弱さを感じてしまう。もっと体を信じよ。


 「体は嘘をつかない」「体は正直だ」…ごく普通に使われるけれど、実は大変な真実だということがわかる。つまり、「頭は嘘をつく」「心は偽りに満ちている(オーバーか)」ということを示している。対談で話されている例は、お腹がすいたから食事をとると、12時だから昼食をとるとの違い…毎日、頭に忠実だ。


 原始時代じゃないだろ、とツッコミを入れたくなる。頭に従う習慣があるからこそ、円滑な社会生活やらを営めるのであって…そんなこと言うならやってみるがいいさ、と捨てゼリフも言いたくなるほどだ。ところがその言葉を吐かせているのは、縛られた自分だよ、あなたの体は別のことを欲しているんじゃないか。


 「言葉や頭」を批判する言葉や頭、それに引っ張られるようにキーボードを叩く体。まったく不毛といっていい時間がここにある。では「体を取り戻す」ために何かできるのか。とりあえずは思いつくのは「外言封じ」。体や表情で表す(伝えるという意識なしに?)時間を多くとる。不気味と思われるだろうなあ。