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神様が守りたくなる子

2014年07月10日 | 雑記帳
 町内の学校から要請があり、4年生の国語の授業参観をする機会があった。「調べたことを報告する文章を書こう」という単元で、事前にちょっと教科書を覗いてみたけれど、扱いにくい内容だと思った。念のため、同じ出版社が出す予定の次年度版を見ると、その単元は「新聞づくり」にシフトしているようだった。


 新教科書では「報告文」は他単元に移動していて、形式も異なる。改善されたようだ。これなら扱えるだろう。さて、今回の学習の報告文のもとになるのはアンケート結果。教科書は「読書」だが「お手伝い」に替え、全校児童から「手伝いの種類」「かかった時間」「やっている時の気持ち」などが訊かれていた。


 そのなかに「やり始めたきっかけ」という項目があった。当然だろうが「家族に言われて」が一番多く、次いで「自分から進んで」でその半数だった。それ以外では「おこづかいがほしくて」という正直者が3名いて、「まねして」という子も2名。そして最後の1名がこう書いた…「神様に守ってもらえるように」


 いいなあと思う。何年生が書いたかは知らないが、その子の手伝いは、例えば、仏壇や神棚にあげる水を換えることかもしれない。そして、一日一回手を合わせる。例えば、玄関掃除かもしれない。一緒に始めたとき「玄関をきれいにしておくと、いい神様がやってくるよ」と祖母に教えられたことを今でも覚えている。


 そんなふうに育つことは人間の芯を鍛える。言葉だけで、神仏が大事だとか、人に迷惑をかけてはいけないと諭されても、それは身体に沁み入りにくい。それに見合った動作とともに繰り返される大事な教えこそが、結晶化されていくように残っていくのではないか。神様が守りたくなる子は、そんな経験をしている。