すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

生き続けたコトバのありがたさ

2015年03月09日 | 雑記帳
 昨年まで通勤時に聴いていた朝のFMで、時々「ありがとう、先生!」というコーナーを聴いていた。教員にお馴染み?J生命の提供である。冊子になって届けられたことがあり、机の隅に眠っていたままだったが、先日、誕生日記念(笑)に整理をしたら、三冊も出てきた。悪い癖で整理中断、開いて読みふける。


 「先生のコトバ集」と名づけられた小冊子のvol2からvol4まである。ざっと読んでみると、ユニークなコトバだけではなく、既に有名になっているコトバ、どこかで聞いたようなコトバ、ごく平凡なコトバが混在している。つまり、コトバが人に響くには、内容はもちろんだが「場」や「関係性」が決定的だとわかる。


 パターン別としては、何度も繰り返されたことによって沁みついたコトバ、もともと強い関係性があり、最後に残されたゆえに刻まれたコトバ、そして今までとは大きく異なるニュアンスを感じたので印象深いコトバ…となるだろうか。しかし肝心なのは、それらの短いコトバが投稿者の心に今も生き続けていること。


 教員ならばそんなことがあればいいなあとぼんやり思う時がないだろうか。ただし意識して言ったコトバなどは、その作為性によって軽さを持ってしまうだろうなあ。まあ、私などは軽さが持ち味なので「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」の精神で、格好良さそうな弾をどんどん撃ちこむか…ふしだらなことを考えている。


 結構、笑えるというか、ツカエそうな、コトバを三つほど紹介する。

 「IQより愛嬌」

 「ため息よりも深呼吸」

 「腐ったミカンだって、腐っていないところは食える」