すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

脳が歓ぶ、脳が苦しむ

2015年03月26日 | 読書
 【2015読了】31冊目 ★★
 『すべては脳からはじまる』(茂木健一郎 中公新書ラクレ)

 久しぶりの茂木本。
 なんだか、するうっと読めた。
 NHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」でキャスターをしていた頃の著である。もう10年近くなるのだなあと、なぜかしみじみ。

 雑誌等の連載エッセーをまとめてあり、さすがに売れっ子らしく調理の仕方が上手だなあと思う。脳科学のエッセンスをスパイスに使って、世相や社会事象、そして自分の日常の瑣末な出来事まで、うまく収めてあるなあという印象を持つ。
 脳科学者なりの、文章テクニックがあるような気がするが…。


 さて、今まで考えてもみなかった知識を拾っておこう。
 まず、給食などでもたまに話題になる「好きなものから食べるか、好きなものは最後にとっておくか」に関連すること。
 筆者は、寿司屋でウニ、イクラが好きだけれど、その寿司ネタはとっておくタイプだと言う。
 この場合の脳の活動について、こんなふうに書いていて納得した。

 ウニ、イクラを食べるということもうれしいが、「そのうちウニ、イクラを食べられる」ことがほぼ確実にわかっているという予期自体がうれしいのである。
 脳の中で、やがて確実に来る歓びを予期するということのうれしさは、その実現を先延ばしにすればするほど長続きする。



 言われてみればもっともなことだ。
 ふと、今の世の中、そういう考え方をする子、しない子を単なるタイプが違うとそのままにしておいていいものか、と考える。
 つまりは「待つ歓び」は、もしかしたらもっと意識的に訓練する必要があるのではないか。
 回転すしの流行から普及は、そんな考えを吹き飛ばしてしまうか。
 「なんでも好きなものから食べなさい」…そうした太っ腹は、こらえ性のない子、いや待つ歓びを知らない子に育てる。

 ギャップイヤーの話、遊びと脳の活性化についても実に興味深かった。

 そして最終章の「応用編 ネット社会の新たな『階層』」には深く考えさせられた。

 著者はこんなふうに表現している。

 現代は、端的に言えば「システムの一人勝ち」の時代ではないかと思う。インターネット上に出現する、すべての人間の活動を包括的に含むような「プラットフォーム」を提供するシステムが一人勝ちする時代なのである。

 「階層」を、人と人ではなく、システムと個人で考えているところが、新鮮に思えた。
 もちろんシステムは人がつくるものであり、そこに人はいるが見事にその姿は希薄だ。

 インターネットから離れて、日常の仕事に当てはめてみても、システム化が図られることよって、個のアイデア、ユニークさが邪魔になっていく例は数多くある。
 この状態が階層をなしているのだとすれば、これはかなり殺伐とした風景なのだろうと、もう一度自分に言い聞かせてみた。