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カソノキニナルキ

2015年03月14日 | 雑記帳
 人々が戻ってきてくれるか、あるいはよそからも人が来てくれるか、その大きな要因の一つが、「つまらないか」「おもしろいか」という広い意味での文化資源に拠っていることは間違いない(平田オリザ)

 魅力あるということは何も経済的、金銭的に限ったことではない。そういう点で満たされた世代、またそのことにあまり関心のない世代の判断基準は、文化ということか。それが都会基準ではつまらない。


 島に逃げてきた彼・彼女が、どういう家族や人生と向き合うのか、あるいは向き合えないのか。「おままごと」が「おまめごと」に変わる日は来るのか。(中澤日菜子)

 過疎と言われる地域で、若い人が暮らすには、ままごと(飯事)さえ出来ていればいいわけではない。さらにこの場合は幼児性も比喩している。まめごと(忠実事)を何で見つけるか、それには自分から働きかける能動性が求められる。


 ミクロな「いい話」をいくら積み重ねても、過疎化を防ぐマクロな効果があるかといえば、それは「無」なのは間違いない。(宇野常寛)

 ひどく現実的な切り口だ。「文化資源」も「まめごと」も、いい話で留まっては地域に何物も注入できない。だから無駄、ということではなく、大胆に踏み出してひっくり返すか、いい話を廻しながら空間、時間を満たそうとするのか。もうすぐ選択を迫られるなあ。