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箸を知らない恥

2015年03月29日 | 雑記帳
 「日本人なら『箸』を知れ」…こういうウイットに富んだ特集名は好きだなあ。読みたくなる。箸遣いには自信があまりない。先をいかに汚さずに使うかがそのポイントだと『美味しんぼ』で学んではいたが、育ちの貧弱さは消せない。この冬に居酒屋のカウンターで隣席から話しかけられた他県人からも鋭く指摘された。実際、そいつ!は嫌な男だったが…。


 話が脱線しそうだが、箸の話である。この特集で興味深かったことは、まず箸の語源。諸説があり、三つ紹介されている。「物の端」「食べ物と人間の口を結ぶ橋」「神霊の宿る小さな柱」である。「小さな柱」説は、もともと宿っているのではなく、使った神や人の魂が宿るとされている。そういう解釈は重々しいが、道具に込める日本人の心性とはマッチしている。


 「箸を横にして、自分の前に置くのはなぜか」という問い立ては、思いもしなかった。そういえば、洋食などのセッティングとは違う。中国や朝鮮も異なると書かれてあった。箸の専門家はこう答える。「箸が結界の役割をしているのです。」なるほど。箸が分け隔てる「自分」と「食べ物をつくり出した他」。食べることを「食事」と称する奥深さを感じさせる。


 大陸から渡ってきたモノ・コトが、独自に変化し発達して、比類なき文化になった例がいくつかある。箸も間違いなくその一つであろう。箸にまつわる諸事の多さ、塗箸、箸置きなど多彩な用途品…それらが象徴的だ。「箸の上げ下ろし」とは細かな一挙一動を表し「つまらない事」の意味に捉えられるが、実はあまりに深い。早くから学習してもいいことだ。