【鬼手仏心】(きしゅぶっしん)
見た目は情け容赦がないようだが、実は相手のためを思う意向に発すること。外科医の、身体を切り開く残酷な手術と、それによって患者を救おうとする心のことなどにいう。(日本国語大辞典)
医師の書く連載で知った言葉である。
外科医は使う道具を想うとまさにその通りなのかもしれない。
では他の仕事ではどうだろう。
表面上の厳しさと裏腹に慈愛に満ちた心の持ち主は、どの世界にもいるかもしれない。
ただ時代は「鬼手」を求めなくなっている。
まして「人」相手の仕事であれば、競技スポーツなどは別にして、激しさ自体が萎んでいるような気がする。
「鬼手」と直接結びつけるのは危険かもしれないが、本来人間の持つ攻撃性は生身の相手が必要なわけで、それらが適度に発揮され、昇華されないと、突発的な危険は高まるのではないか。
また「鬼手」も「仏心」も、きわめて主観的なことなのかなと考えがよぎる。
イスラム国も、ドイツ旅客機の件であれ、個の中では「仏心」に近い感覚に満たされていたのかもしれない(これはなんでも言い過ぎかと思いつつ)、「鬼手」はそれに支配された手段だ。
洗脳であれ病であれ、破壊的な出来事はそう映る一面を持ち合わせている。
だんだんと大言壮語になりそうなので、日常に引きもどす。
もし自分に「仏心」があるとするならば、「鬼手」の鬼の顔をどんなふうに見せるか…そういうことです。
見た目は情け容赦がないようだが、実は相手のためを思う意向に発すること。外科医の、身体を切り開く残酷な手術と、それによって患者を救おうとする心のことなどにいう。(日本国語大辞典)
医師の書く連載で知った言葉である。
外科医は使う道具を想うとまさにその通りなのかもしれない。
では他の仕事ではどうだろう。
表面上の厳しさと裏腹に慈愛に満ちた心の持ち主は、どの世界にもいるかもしれない。
ただ時代は「鬼手」を求めなくなっている。
まして「人」相手の仕事であれば、競技スポーツなどは別にして、激しさ自体が萎んでいるような気がする。
「鬼手」と直接結びつけるのは危険かもしれないが、本来人間の持つ攻撃性は生身の相手が必要なわけで、それらが適度に発揮され、昇華されないと、突発的な危険は高まるのではないか。
また「鬼手」も「仏心」も、きわめて主観的なことなのかなと考えがよぎる。
イスラム国も、ドイツ旅客機の件であれ、個の中では「仏心」に近い感覚に満たされていたのかもしれない(これはなんでも言い過ぎかと思いつつ)、「鬼手」はそれに支配された手段だ。
洗脳であれ病であれ、破壊的な出来事はそう映る一面を持ち合わせている。
だんだんと大言壮語になりそうなので、日常に引きもどす。
もし自分に「仏心」があるとするならば、「鬼手」の鬼の顔をどんなふうに見せるか…そういうことです。