すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

嘘でも本当でも生きている

2017年10月02日 | 読書
 大学のサークルの先輩Tさんは「前世が見える」と宣言していた。ある時「お前の前世は、女だ」と唐突に言われた。さらにこう続けた。「平安時代にあるお屋敷に住んでいた」。えっええ、そんな気配は全くないのに…と眉唾で聞いていたら「その前は…」と口を開く。えっ前世の前世…「猫だ」。なにぃ猫苦手です。



2017読了96
 『嘘みたいな本当の話 みどり』(高橋源一郎・内田樹 選  文春文庫)


 ナショナル・ストーリー・プロジェクトという、ごく普通の人の「普通でない」実話を集めた企画が米国にあり、その日本版としてWebで募集、発表されたものの文庫化、第二巻である。第一巻も去年の冬に読んでいる。選者によるとポイントは二つ。「奇妙な後味」と「そういうことって、あるよね」感だそうである。


 高橋源一郎の「まえがき」「あとがき」が実に面白い。ここに寄せられた作品は通常「エッセイ」という類の「本当」の話だろうが、仮に「嘘」が混じっていたとしたら、それはどの程度なら許されるか、いやまたそんな基準が必要なのか、まで考えが及ぶ。それは「人生」もしかり。高橋はこんなふうに記している。

(略)ひとりひとりの人間が「生きる」ということ、それは確かに存在している。しかし「ある人の人生」などというもの、ほんとに存在しているのだろうか。それって、無理矢理「作った」ものなんじゃないだろうか。「人生」とか「奇蹟」とか「秘密」とか「事実」とか、そんなもの、どれもこれも、退屈を紛らわすために作りだした大嘘なんじゃないだろうか。


 「生きる」ことを語るということは、そんな「妖しい気分」が湧き上がる要素もある。それが「本当」なのか「嘘」なのか「事実」なのか「ネタ」なのか、そんなふうに分けるより、語る人間はきっとそこに「名前」をつけたいのだ。それを、他者に通じる言語でアプローチすることを「文学」と呼ぶのかなあと思う。