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「ある程度」を保障する構え

2017年10月03日 | 読書
 今「子どもの貧困」と言った時に、衣食住に事欠くようないわゆる「絶対的貧困」を指していると考えるのは、少しピントがずれている。OECDで共有している概念は「相対的貧困」だという。衣食住に関して周りとの落ち込みがあれば「貧困」となる。つまりこれは「格差」の問題。現実に鈍感になっては困る。



Volume80

 「『親次第』というのは生まれる家庭を選べない子どもたちには過酷な結論だ。家庭が提供できないものを、家庭以外からも提供できるといい。そんなことが可能なのか。すべては難しいかもしれない。しかし、ある程度はできる。そしてその『ある程度』がどれくらいなのかで、子どもたちの将来の活躍度合いが左右されていく。」


 「あっていい格差」と「行き過ぎた格差」に目をつけ、その境界線として「相対的貧困ライン」を位置づけた湯浅誠氏(法政大教授)の言葉である。
 そのライン下層に懸念されることは、あきらめや絶望だったりする。

 そこに教育の重要性が語られるのは当然であるが、「膨大な実証研究成果」によると、学校教育による格差是正効果はきわめて限定的という。
 その事実を踏まえて行うべきことが、どのようなことか別に政治家でなくとも簡単に分かる。
 問題はその重要度の認識であり、その財源や仕組みの捻出、創生なのだと思う。

 選挙目当てのような政策も打ち出されているが、是正する本質をしっかり理解できているか。
 そこが肝心であり、それはきっと「格差に対する考えや構え」がどうあるのかによって、大きく左右される気がする。
 一定の財源が振り分けられても、どんなふうに改善されるかは、やはり「質」の問題だ。