すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

信頼の途上を支える

2017年10月22日 | 読書
 「実態と実感の大きなギャップ」…景気好調の報道でよく言われる。データとマインドが違うことは、他にも様々な例を挙げられるだろう。個人的関心が高い「子どもの貧困率」に関しては、若干の改善はあるが、実際は厳しい。主要36国中24位という現状。制度改正はなく、改善に向けた政府支援は増えていない。



Volume83
 「子どもは大人のように「あの人はあそこがだめだけどあそこはいい」と複雑に他人を評価するのが難しいため、持ち物をその人自身の象徴ととらえることもよくあって、大人の合理的な『使えたらいいじゃない』は通用しなかったりします。(略)誰が何を着てもいい、持っていてもいい、という自他への信頼の途上には、『ちゃんとしたものを持たせてもらった』という記憶は確かに存在するのです。」


 作家津村記久子が、「子どもの学校生活と持ち物の関わり」について寄稿していた。
 学校現場に身を置いたものとして、該当する事例は際限なく見てきたが、同時に慣れっこになり鈍感だったのでは、と自省する。

 子育てを最終的に個人の責任と考えることは、間違いとは言えないかもしれないが、もはやそういう認識では社会全体が成り立たなくなっている。
 「自己責任」を強調している一定の層は、やはり社会や人間に関して傲慢であったり、きわめて浅い見方に留まったりしているのではないか。

 自ら幼少時代に金銭に関する無力感を抱え込んだと語る作家は、次のように言う。

 「すべての子どもには、家庭環境の如何にかかわらず、機会を与えられる権利があります。機会を与えられ、助けられた記憶がある人は、誰かに機会を与え、助ける人に成長します。

 支援の意義を心に刻みこむ言葉だ。

 明日は、選挙結果にそって様々な言葉が氾濫、拡散するだろうが、それはともかく、些細だけれどカンパ行動をすることを決めた。