(20180209 雪の一本道)
Volume94
「蛙が飛びこむ時、音はしないんですね。ただ、すーっと水の中へ入っていくだけですよ。」
松尾芭蕉に関する著書を何冊も出している嵐山光三郎が、俳人でもある女優の富士真奈美との対談で語った言葉。
60年もの間、芭蕉を追い続けた嵐山が、昔、芭蕉庵があつた近くの庭園で丸一日「飛びこむ音」を聞いてやろうとねばった末の結論である。
言われてみれば、ソウダナと思う。
だからこそ、その音を想像(創造)した俳聖はえらいのか。
Volume95
「野生の動物たちは、一点集中を避け、むしろ、意識を周囲に分散させながら外敵に集中する『分散力』を必要とします。」
売れっ子脳科学者池谷裕二が書いている。
テレビなどで野生動物の狩りのシーンなどみると、集中力のイメージしか伝わってこない気もするが、実のところ自分も喰われないように注意力を分散しているはずだ。
言われてみれば、ソウダナと思う。
池谷は「非集中力」という言葉も使う。その能力に長けた動物たちが生き残っているのだという。人間社会ではどうか。
集中力だけの人が危うさを抱えていることは確かだろう。
Volume96
「人が進んでどこかへ通うときは、通う理由がふたつ以上あるということ。ひとつでは、自ら通ったりしない。」
先日読んだ『なにごともなく、晴天』(平川克美)の中の一節。
言われてみれば、ソウダナと思う。
それが仕事であっても、趣味であっても、きっと一つの理由で「通う」ことはできないと、あれこれ浮かべてみた。
その理由をつき詰めてみることが、とても大事かもしれない。