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贅肉は美の象徴なのか

2018年02月19日 | 読書
2018読了15
『やせれば美人』(髙橋秀実 新潮文庫)


 「妻はデブである」という一文から始まる。そして書名は「妻の口癖」である。なんという自己信頼、自己肯定かと思う。「やせれば美人」の「やせれば」という仮定のなかに、「いつでもできるんだ」という自信が漲っている。そして「美人」というストレートな評価。ダイエットがテーマだが、結果は目に見えている。


 著者の書くノンフィクションは、読んだ範囲ではパターンが似ている気がする。テーマと出会い、まさに「降りていく学び」と呼べそうなアカデミックな調査があり、多様な方々への取材を重ね、そして常に自分とその周囲が照らし合わされる。今回の対象者は著者の妻。面白くないわけがない。スリリングでもある。


 サイズ計測や服の号数のことなど、実際に専門家しか知らないような点も興味深く読ませる。また、食事からエネルギー保存の法則という物理まで発展する。エネルギーの蓄積が身体に影響しないわけがないが、人間のエネルギー収支がピッタリするのは、「火葬場で体を完全燃焼」した時というのは、納得しつつ笑える。


 しかし、なんといっても主人公ともいってよい「妻の名言」が溢れている。ダイエットを志すための決意ではなく、なかなかうまく運ばない(本当に目指そうとしているのか)その訳が的確に理解できるコトバたちである。

 「努力には“美”がない」
 「これ以上、私に何を我慢しろと言うのよ!」
 「やせてると、話が盛り上がらないのよ」




 ダイエット実践者たちの言葉も特徴的で面白かった。ある女性に関する記述は、先週の読書を思い出すと衝撃でもあった。

 「彼女は村上春樹ファンだった。彼の小説に登場する人々はみんな自分をコントロールできているらしく、その世界に浸るとダイエット感覚が自然に身についていくらしい」


 要するにこの本では「自己コントロール」の方向性が問われる。それが「体重コントロール」「身体機能コントロール」に向かうか、はたまた精神的な方向なのか…このせめぎあいがなかなか難しい。それにしても、芸術の美が「贅沢」から生まれることから「贅肉」を「美の象徴」とする見方は一面の真実と感心した(笑)