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自由を保つ1割の目安

2018年02月20日 | 雑記帳
 誰の言葉だったか失念してしまった。おそらくTV番組制作者か作家とかだろうか。つい先日メモしておいた一節だ。

 「こちらが頭に置いているのは、筑紫哲也が言っていた「視聴率7~10%の理論」である。自由が保たれる視聴率はそれくらいだ、という。視聴率が低すぎれば番組が打ち切られるし、視聴率が高ければ、視聴者の要望に更に応えようと力んだり、会社の意向を聞き入れる必要が生じたりして、不自由になる。」


 報道番組を想定している文章だろうが、これは多くの商業的なコンテンツに共通する考えかもしれない。

 『村上さんのところ』で、ちょっと似たようなイメージを抱いた回答がある。「お店をやっていたときの哲学」という質問に次のように応えている。

 「お客の全員に気に入られなくてもかまわない、というのが僕の哲学でした。店に来た十人のうち三人が気に入ってくれればいい。そしてそのうちの一人が「また来よう」と思ってくれればいい。」


(20180220 空が近いと子どもたち)

 生業としてやっていれば、経済的に成り立つかどうかを無視するわけにはいかない。
 ただ、そもそもの目的が何で、そのために始めたことであれば、視聴率、来客数が象徴する「人気」に囚われてしまうことは、非常に危険であることは誰しもわかることだろう。

 そしてまた、世の中にはそういう現実がいかに多いか。
 人気が高いということは、多くの人の目に晒され、均されていく部分が出てくる。尖った部分が惹きつけたはずのものが、いつの間にか内実なく空虚になり、いったい何のために目の前のことをしているんだという状況に陥る。
 だからと言って「止める」ことでは、何も生み出されない。

 一定の「自由」を保つための、見極めが大事だ。

 上の二つに共通する1割とは、いい目安と言えるかもしれない。