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桜と絵本と豆乳と

平均値は正常値ではない

2018年02月23日 | 読書

(20180223 今日もずいぶん冷えました)

 読了を覚えていて再読する本、不確かなまま再読する本と正直いろいろあるが、いずれ自分にとっては価値が高いから、再び手にとることになる。その場合、時が経ち立場も違えば、当然ながら、読み込んでしまう視点も違ってくる。同じ言葉であっても、目に入る時、そうでない時があることを今さらながらに感じる。

2018読了18
 『整体生活術』(三枝誠 ちくま文庫)


 書下ろしの文庫が発刊されすぐに読んで、その一節を引用しメモした。13年も前のことだ。→「つまらない自我は学びを阻害する」。本書のキーワードは「外経絡(がいけいらく)」。著者の造語である。経絡とは漢方の語で「身体中の筋道」を表す。その意味を、外的な「場所」「対人関係」などに適用した考えである。


 「誰とつきあうのか」「どんな場所に住むのか」「何を食べるのか」といった、自分と外との関わりがはっきりしていないと納得した人生は送れないと筆者は力説する。そこに現れる「気の交流」こそが肝要という。整体は広範囲だがいくつかの芯がある。その一つは「平均値でものを考えない」精神のあり方だと思う。


 「平均値であるからといって、それは人間の正常値ではない!平均ならばいいだろうとみんなで安心しているようなところがあるけれど、その平均値は人間が本来持っている力よりもずっと低いところに置かれている」…この認識を持って時々思い起こさないと、結局「常識」やら「多数決」やらに浸食されていく。


 「感謝という感情」の難しさについて述べたり、「シゴキの論理性」について触れたりしている部分など、おそらく一般的には受け入れ難い考えかもしれない。しかし個人的には納得できる。「感謝に距離感や間合いが必要なこと」や「すべての稽古は追い込むこと」という正常が、平均に崩されぬように見張っていきたい。