2018読了12
『待場のメディア論』(内田樹 光文社新書)
2010年発刊なので新書としては賞味期限切れと言われるかもしれない。しかしそうはならない所がウチダ本の魅力だ。これはおそらく著者が「『贈与と返礼』の人類学的地平」にぶれずに立ち続けているからだ。常に本質を問う人は、目前の事象がどんなに流動的であっても、その底に淀む、潜む存在から目を離さない。
この本のテーマはマスメディア、つまりテレビ、新聞、出版界の現状と展望が主になっているが、第一講として語られたのは「キャリア教育」。この10年、行政主導の「自己決定・自己責任」を目指した動きはずいぶん活発だった。しかし、その限界は目に見えてきて久しい。そもそも目標の設定が違うと語っている。
「与えられた条件のもとで最高のパフォーマンスを発揮するように、自分自身の潜在能力を選択的に開花させること。それがキャリア教育のめざす目標だ」と言い切る。それは盛んに自己アピールする力ではない。他から必要とされ、また自分が必要になった時に「発動」する力の育成といってもいい。筋道が異なる。
その観点からマスメディアに対する分析・批判もなされている。個々の例は頷くばかりであった。視聴率も部数も著作権も、何のためかと深く問われた時、いかに自分たちが市場経済によって毒されているかが理解できる。「人間性」という言葉をこんなふうに解した文章は初めて見た。ずっと心のなかに残る気がする。
「何かを見たとき、根拠もなしに『これは私宛ての贈り物だ』と宣言できる能力のことを『人間性』と呼んでもいい」
その「能力」は、競争や賞罰や適性探しが繰り返される場では培うことができない。他者と向き合い、頼み頼まれあうような関係性の中で育まれるだろう。「贈り物」はメディアを通じて届けられる場合もある。しかしビジネス思考では、それに気づくことは困難である。メディアのあり方の起点を忘れてはいけない。