(20180226 雪消月実景⑤)
Volume98
「日本に必要だが足りないのは、このプロデューサーの能力です。ひとりひとりのプロフェッショナルには、卓越した人材がいますが、それらを束ねて化学反応を起こし、1+1+1+1……がその総和以上になるような制作物を生み出す能力といってもよいでしょうか。そういう人材が足りない。」
社会学者の上野千鶴子が雑誌連載「情報生産者になる」の最終回に記した言葉。
どうしてプロスポーツチームの監督に外国人が招聘されるのか、正直あまり納得いかなかった。
サッカー日本代表しかり地元のバスケチームしかり、プロでなくとも今回の五輪チームにも、そうした存在は多い。
監督は、意味としてはディレクターが近いのかも知れないが、そこを含めて総括するプロデュースの力量に日本人がいかに欠けているのか、ずばり宣言された気がした。
なぜこの国にそういう能力が育たなかったのか。
古代からの歴史を紐解けば、いろいろと分析できるだろう。
歴史上のリーダー、ヒーロー(の物語)を取り上げてみると、プロデュース能力に長けている者は当たり前のように考えられる。ただそういう存在は特殊だ。
その人物の下をずっと辿っていくことで「教育」のあり方の大勢が見える。
とすると、やはりこの国は上意下達が圧倒的で、それがまた一面では強さであったことも認めねばなるまい。
その点を踏まえながら、これからの時代に対応するためには…と様々な人が様々なことを言ってきた。
傾聴するに値する言葉はたくさんあったが、今ふと浮かぶのは、かつてのサッカー日本代表監督のイビチャ・オシムが語ったことだ。
『日本人よ!』の感想メモを残していた。
「もっと自分の頭で考える」機会を増やすことが、出発だ。
みんながプロデューサーになったり、そうした仕事につけたりするわけではない。
しかし自己をプロデュースする力は、誰にとっても必要が増していることは言うまでもない。