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「けなり」は求められているか

2018年06月14日 | 雑記帳
 今朝『半分、青い。』を見ていたら、岐阜弁として「けなるい」という言葉が…。主人公が漫画家デビューを友人である同僚に越され、羨ましい気持ちを叫ぶ場面で使われた。ああこれは、と思った。かつて自分が知らなかった秋田弁として調べた「けなり」と同じだろう。辞書を引くと案の定「けなりい」で出てくる。


 「けなり」との出合いは大学卒業後、山間部の中学へ講師として勤めた時、ある女子の「あの人、けなり」という一言だった。意味を尋ねると、羨ましさと妬みの気持ちがあるらしい。それまで耳にしたことがなく家へ戻り母に聞いても知らず、明治生まれの祖母だけが「昔、聞いた」と答えたことが印象に残っている。


 昔は使われていたが徐々に廃れるのは一般的だろうが、狭い町内で少し不思議な気がした。調べたら『「けなるい」の全国分布』というサイトがあった。多くの地域で通用していたのだが、東京で広まらなかったので共通語にならず、方言扱いされているという事実?が興味深い。他にもそういう語はあることだろう。


 改めて『秋田のことば』を見直すと、語源もなかなか面白い。『「異(け)なり」を形容詞として「けなりい」の形で用いたもの。他と異なっていて評価する場合「けなり」と言った』。つまりこれは「ユニーク」「個性的」という、今求められる価値を表すと言ってもよい。ただ「異」は昔から遠ざけられる面も強かった。


 「異(け)」には「ことなる」「際立つ」「すばらしい」の意味がある。そこから「けな」という言い方が生まれ「けな気」に通じている。ところが「けな人」「けな者」という語になると、最初すぐれている者や健気な者を表していたが、徐々に「温和」→「柔弱」→「怠け」と変化していくようだ。「異」の歴史的排除なのか。