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レフェリーは合意形成をする

2018年06月13日 | 読書
 Wカップが近づいてきた。サッカーファンとは言えないが、ごく普通に日本代表チームの試合は見るだろう。厳しい前評判のときは案外躍進したりするので、正直少し期待している。そうした関連の報道も増えるだろうな。ある会社から送られてくる冊子の冒頭に、Wカップの主審を務めた方のインタビューがあった。


Volume107
 「レフェリーの仕事は、あるプレーを『裁くこと』ではなく、あるプレーについて『合意を形成すること』だと考えています。『合意』とは両チームの合意でもあり、私の判定に対する合意でもあります。みんなの合意を形成する、つまり判定は、一種のコミュニケーションでもあるわけです。」


 前回、前々回とレフェリーとして参加した西村雄一氏の言葉。

 これを単なる言い換えとみてはいけない。プレー中に限らず、サッカーに向き合う全ての行為に関わり合ってくることではないか。


 「サッカー文化」は国によって異なるので、当然「サッカースタイル」が違い、それは判定基準に大きな影響を与えるようだ。
 確かに、ぶつかって「倒れる」かどうかは、ファンが求めるプレースタイルと関わり合いがあり、判断の大きな目安になることを考えれば、頷ける。

 その中でレフェリーが正確なジャッジを下すことは並大抵ではないとわかる。
 西村氏は一度下した判定を覆すことはないが、不服を言う選手に尋ねたり、見えなかった場合は正直に謝ったりすることさえあると言う。

 立場としての権力を振りかざすのではなく、合意形成という仕事なのだという自覚があることは言うまでもない。

 そこに、レフェリーの真の威厳を感じ取る。
 
 だから「90分走り続ける疲れより、脳の疲れがはるかに大きい」のだろう。


 Wカップを観戦する視点が一つ増えたような気がする。