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こころに種子を播く日

2018年06月06日 | 雑記帳
 「お稽古の日」ということで何か書き散らそうと思ったが、稽古については前も書いたことがあるはずと…「稽古とは、深い言葉だ」。で、今何か自分が稽古しているかと言えば、誰かに習っていることが皆無と気づく。自学自習での「ことば」を究めるしかないか。それも一つの稽古と、今日の暦「芒種」に目をつけた。


 「芒種」は、wikiにこうある。辞書でもほぼ同じ。苗づくりや田植えの時期は少し過ぎたので暮らしとの密着度が薄れた。さて「ことば」に目を移すと「」が気になる。「芒」は「のぎ 、イネ科植物の果実を包む穎(えい)すなわち稲でいう籾殻にあるとげのような突起」である。しかし「艸」+「亡」という訳は?


 「亡」とは「なくす・ほろぼす」という意味だが、そもそも「見えない」も含まれ、小さい突起が「見えにくい」ことから「芒」が作られた。ごく小さいことも表し、「のぎ」と読む漢字を調べていたら、なんと「」が出てきた。「きわめて、びさいなもの」。納得する。ところで「亡」という漢字のでき方が面白い。


 大漢和辞典では「人をL印(囲い)で隠すさまを示す」という会意文字とあり、常用字解では象形文字として「手足を折り曲げている死者の骨の形」とある。いずれにしても「あったものが姿を隠す」「ほろびる」ということにつながる。この部分を持つ字は他に「忘」「忙」「虻」「恾」があるが、やはり縁起悪しである。


 しかし「芒種」そのものは種を播くことであり、収穫への「期待」があることは確かだ。歳時記に挙がっていた句の一つに目が留まる。「芒種とふこころに播かん種子もがな(能村登四郎)」。「とふ」は「という」であり、「もがな」は願望を表す助詞である。お稽古の日は、「こころ」に種子を播く日としてふさわしい。