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耳に残る放送禁止歌

2018年06月16日 | 読書
 誰しも耳に残る歌声を持っている。多くの人が知っているポピュラーなものもあれば、きわめて個人的に思い入れが強いものまで…。後者の一つとして山平和彦というシンガーが唄った『男について』(詞・滝口雅子)がある。特にこのフレーズ。「♪早く死ねよ 棺桶を担いでやるからな♪」。高校2年の春に聴いた。


2018読了61
 『放送禁止歌手 山平和彦の生涯』(和久井光司 河出書房新社)


 著者は冒頭にこう書く。「山平和彦の名前に反応する人が、いまの世の中にどのくらいいるか判らない」。確かにそうだろう。いわゆるフォークブーム世代ではあるがヒットもなく、「放送禁止歌」というアルバムの存在を知っている人も少ないはずだ。同じ秋田出身であっても因幡晃あたりとはかなり異質な存在だった。


 そのアルバムは発売直後に、その名の通りすぐ発売禁止となった。私はその前に買っていて、ずいぶんと聴き込んだ。後に山平和彦が名古屋を拠点として活動している頃、その「幻」のアルバムに五万円の値がついたことを覚えている。その時には持っていたと思うが、紛失したのか曖昧なまま、今はもう手元にない。


 発売禁止は「性的な表現」が理由だったが、山平自身に当時の体制に反発する意識が強かったわけではない。ただ、情念を込めての歌づくりや歌唱はやはり「」であり、制限されたように見える。大衆受けしたかというと、それも難しかった。バックバンドであった「マイペース」の『東京』という曲は流行ったが…。


 いずれこの本自体はかなりマニアックな内容である。よくBSで放送される「フォーク史」にも登場しない範疇にある。ただ、山平和彦という「アーティスト」が才能を発芽させながら大きく花開かせられなかった、個人的資質や時代風潮は感じとれる。その背景や周辺を読み取れるのは、私がハマっていたからだろう。


 「放送禁止歌」は「♪世界平和 支離滅裂 人命尊重 有名無実♪」と四文字熟語を並べていく手法だった。改めて聴くと、半世紀経っても変わらないことがあり、同時に大きく変貌したものもあることがわかる。今ならどんな形にできるか。文中にも登場した方がその精神を受け継ぐ動きを見せていることは嬉しい。