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頭脳を超える脳を視る

2018年09月24日 | 読書
 先月読んだ新書が面白く、「スポーツをボーッとさせるな」と題してブログに書いた。その著者が師事している武術家宇城憲治氏の教えを、自らの関わりを交えながら紹介している本だ。甲野善紀氏の教えと共通点があるように感じる。副題は「身体で感じ、『身体脳』で生きる」。この「身体脳」は少しわかりにくい。

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 『古伝空手の発想』(小林信也  光文社新書)


 つまり「わかる」ものではないからだろう。身体脳と対比されるのは、そう「頭脳」である。だから、よく言われる「イメージする」といった言葉は出てこない。イメージは頭脳でするからだ。例示された「自転車の練習」に即して言えば「感覚を身体に叩き込む」。つまり行動や所作、習慣で出来上がるもう一つの脳だ。



 宇城師範の稽古の驚異的な動きに感動し、著者は師範の言葉を拾っている。「相手の中に入れば簡単です」「呼吸と姿勢です」「身体がひとつになっているからです」…身体が超高速で動くような感覚が繰り広げられる場面では、「対戦相手の次の動きが見える」「ボールが止まって見えた」といった達人レベルを想像した。


 最初に紹介されている例(正座の姿勢から立つ二種の方法)を試してみたら、その通りにできたので少し驚いた。武術とは言わなくとも基本的な日常動作でも、頭脳で動くことと身体脳で動くことは違いが出るので、積み重なっていけばずいぶん大きい。私たちはあまりに「力を出す」ことを自分に命令していないか。


 言葉でわかっても意味はないが、ずっしり響く語りも多い。「いまを生きる日常を重ねていると、<いま>がだんだん広がってきます。いまを広げる、これが大事なんです」。これはまさしくマインドフルネスのその先にある境地だ。まだまだ試したいメソッドや意味深い言葉が満載している一冊だ。近いうち再読したい。