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犬が拾った話を読む

2018年09月16日 | 読書
 「」という語は結構多義である。手元の電子辞書には名詞として10個の意味があった。クイズにして教材化したこともあった。さて今回の小説の文中に「負け犬」という言葉が出てきて、「なぜ、犬なのか」と問う文があり、なるほどと思った。確かに「負け〇」に他の動物は入らない。人間との密着度の高さの表れか。


2018読了88
 『レインコートを着た犬』(吉田篤弘  中公文庫)



 犬が語り手を務める。このパターンは珍しくはないが、やはりそこは吉田篤弘色で彩られていている。客の少ない古びた映画館の番犬であるジャンゴは、行ってみたい場所として「銭湯」と「図書館」を挙げる。もちろん映画が何より好き。手の届かない情報に飢えながらも、様々な知識と独特の感性で物語を綴る。


 「犬には思い出せないことが多々ある。覚えられないことが沢山ある」と嘆き、神様に対して「写真を撮る能力や文字をしたためる術」を何故授けなかったかと問う。しかしその嗅覚、視覚、聴覚を生かした人間の観察は、十分に面白い。ある意味では、人間の作りだした様々な「文化」を掘り下げる話にもなっている。



 「ここ」が小説のテーマだ。人が「ここ」という語を発する時、それは特定の場所を指すことが多い。その場合、範囲はある程度決まっている。しかし抽象的に「ここ」を考えたとき、それは何処を指すのか、決まっているだろうか。訳の分からぬ小難しい問いは必要ないか。違う。「ここ」の「じぶん」が大事ならば。


 個性ある登場人物が多い。共鳴したのは古本屋の「親方」だ。名文句は数々ある。「人生は予告編だ。本編なんてものは決してやってこない」「本当に好きなら、やめないこと」…語り手の犬はきちんと拾う。それにしても犬の名「ジャンゴ」の由来はギタリストのジャンゴ・ラインハルト。懐かしいその名も意味深い。