すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

「自由」と言われ、迷い歌

2018年09月22日 | 読書
 著者は歌人俵万智の師匠である。そうした興味もあって古本を探してみた。昭和63年発刊である。ふとこの著者の何か…と思って探したら、児童用の『短歌をつくろう』(さ・え・ら書房)が共著として出されていた。こちらは平成元年刊。当時はまだ教科書に「短歌を作る」ことは載っていなかった。功績を感じる。


2018読了89
 『佐佐木幸綱 短歌に親しむ』(佐佐木幸綱 日本放送出版協会)


 遅々たる歩みで作歌に取り組んでいる。なかなか納得できる歌を詠めない訳を言い当てられた気がする一節に出会う。「常識や固定観念にとらわれない<自由な心>こそが歌を生み出すのです。」凝り固まった頭と心のままではいけないと知りつつも、やはりそこが難しい。どうしても理詰めで追いがちになる自分がいる。



 短歌自体の「自由さ」は大きい。定型詩であることを除けば、どんな題材も言葉遣いも許される寛容さがある。必要なものは発見、驚きといった心の揺れだろう。それをどんなふうに感じ取れるかが、個の「自由さ」と言ってよい。たぶん非日常場面であったり、日常でも強い働きかけがあったりした場合に発現する。


 しかし旅行でも「おおっ」と思えばカメラに頼りがち、後で振り返りながら作歌を試みても、駄作が並んでしまう。気持ちがどうも込められない。主観的こそ大切なのに客観的になりがちなのは、長年の性だろうか。著者は「短歌をつくるのではなくて、自分の気持を短歌につくるんだという考えで」と書いている。


 「気持を短歌につくる」とはいったい…。「気持」といった時にすぐ思い出したのが、穂村弘のあの有名な歌である。「サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい」…これほどぶっとんだ想像力がないと、気持ちを言語化するのは難しい。とにかくいっぱい作り、言葉と心が重なる偶然を待つか。


 秋暮れて待てど暮らせど来ぬ歌を迎えに出かけ道に迷う日