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ナメた真似をする訳

2018年11月11日 | 雑記帳
 一昨日、赤ん坊の舐めることを書いていて、ふとあるセリフを思い出した。「ナメんじゃねえぞ、覚えてやがれ!」「ナメた真似しやがって」という類。実際生活であまり聞く言葉ではないが、昔は映画とかドラマで耳にした記憶がある。何故「舐める」がそんな時に使われるのだろう。



 舐めるのは人が幼いから、また動物の仕草だから、そうした行為が低く見られているのだろうか…と一応予想してみる。日本語大辞典には第一義として「舌先で物にさわる。転じて、比喩的に用いる」とあり、その「比喩的」にあたるのか、と次を見ていくと、あっと思う記述がある。


 大きな項目として「人や物事を軽く見る。あまく見る。馬鹿にする。みくびる」と出ているのではないか。しかも(「無礼」の字をあてても用いられる)とあった。見出しとしても「なめ【無礼】」「なめし」が広辞苑にもある。初めて知った。日本語をナメテいたわけではないけれど。


 それにしても「なめる」という語は結構範囲が広い。明鏡国語辞典の②(多く「~ように」の形で、比喩的に)の説明が面白い。「少しずつ味わいながら飲む」「子供などを溺愛する」「火が燃え広がる」「残るくまなく覆いつくす」…これらは舌先の動きなどからの連想になっている。


 幼い子の舐めるに戻れば、人間も動物だと痛感した思い出がある。上の娘が三歳になった頃、顔を舐めまくられた事がある。母親が入院し、私も出張で二日ほど実家に預け、帰宅した時だ。見知らぬ人にだったらまさに「無礼」な行為だが、親へ向けてあれほどの求愛表現は他にない。