すぷりんぐぶろぐ

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立冬に、腰を立てる

2018年11月07日 | 雑記帳
 昨年と同様に、昨夜は亡き友の供養という形で一献設けた。最近、相次いで顔見知りの不幸があったので、少し気が晴れず思い巡らしている。いずれ生き死にの事はどうにもならないとは言え、もし何かを先送りしてきたツケが加担しているとすれば、自省は大切だと改めて思う。


 秋初めは天候に恵まれなかったが、10月以降は比較的穏やかだった気がする。紅葉もよく、玄関のヤマボウシがこんなに色づいた年もなかった。ただ考えればこれも人間様の勝手な見方で、樹木にしてみればその年の環境に応じて、コントロールしているのだ。自然に逆らわずに…。



 それをああだこうだと評価するより、あくまで今の良さに目をつけた方がよいと、達観できるわけでもないのに、無理矢理頭の中で繰り返している。今日参加を請われた会議ではある分野の行動計画策定に関わることになった。しかし、なんと世の中は複雑に絡み合い難しいことか。


 「改革」「改善」「高揚」…そこに現状の良さを生かす視点があるにしても、おそらく何かを否定しなければ実現できない要求である。そして多くの場合、もともと持っている良さは軽視され、変化していく。それが世の倣いか。今を丸ごと認め、貫くことで生まれるものはないか。


 立冬。「立つ」そのものに「新しい月、季節が来る」との意味がある。家では立ち上がる際のヨッコラショという声に苦笑する。しかし、月日は黙っていても「立つ」。無為に過ごしてよいと諦めはしないが、自然にすっくと居られる姿勢だけを維持していれば、それでよいではないか。