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歴史とは「なおし合い」だと…

2018年11月21日 | 読書
 「一体全体」という語は使った記憶がない。宮沢賢治の文章によく出てくるイメージがある。吉田篤弘も賢治ファンだろうか。描く世界の雰囲気も似ている気がする。さて「一体全体」は辞書に「『いったい』を強めていう語」と載っている。この場合は「本当に」の意味だろうが、この小説は題名のとおりに複雑だ。



2018読了108
 『イッタイゼンタイ』(吉田篤弘  徳間文庫)


 大きく「イッタイ」と「ゼンタイ」の前後半に分かれていて、それぞれが細かく章分けされている。一言でどんな小説かを答えるには難しい。ただ、初めに登場する男たち…「なおし屋」が本当に面白い。「なおす」は「直す・治す」という二つの漢字だけだが、意味はずいぶんと広い。手元の広辞苑では16項目あった。さて、こんな一節がある。

 そもそも、我々の歴史の要所要所には大きな「なおし合い」があった。というより、正統な歴史とは、じつのところ、内々の「なおし合い」を箇条書きにしたものを意味する。


 どうだろう。「なおす」という語の広い意味を考えるとき、実に納得できる解釈である。例えば歴史上戦争はそれぞれが相手に対して「なおす」ことを要求するために起こる。終われば終わったで様々な「なおし」が進み、その結果また…という繰り返しだ。具体的なモノであれ抽象的なコトであれ「なおし」は続く


 登場する男たちが実際に生業とする「なおし」は、時計や車、洋服等だ。その個性的な語り口が楽しい。特に「パスカルのヨシアシ」の章は傑作だ。「俺」ことウエダが語る、言葉の独特の解釈は、まさに作者の言語感覚の鋭さの真骨頂。葦はアシともヨシとも読む。それをこの題名にしてしまうセンス、想像が楽しい。


 正直、男たちの登場する前半は読みやすかったが、女たちに視点が移る後半は文体が変わったようで、少し頭に入りにくかった。その訳は「後書き」で作者が記すように、即興的に書き進めたことにあるようだ。前後半を表舞台舞台袖という表現で区分けしているが、「」を読み取る理解力が自分には欠けていたか。