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フェイクを撥ねつけて

2018年11月04日 | 雑記帳
 ああこれはフェイクではないのか…人間とは勝手なもので、日頃批判しながら、自分に都合が悪いとそんなふうに思ってしまう。昨夜、町内会で聞いた話がにわかに信じられなかったし、話した本人も不確かな様子だったので、帰宅後少し調べた。中味は明かさないが確かに載っていて、思わず声を漏らしてしまった。



 さて、先月末NHKの土曜ドラマ枠で放送された『フェイクニュース』は、なかなか見所があった。現在のネットをめぐる事情がよくわかったし、そこに群がり、様々な悪意を持ったり追い込まれたりする人間の弱さや醜さを的確にとらえていた。この脚本家、やるなと感じた。「野木亜紀子」…どこかで見た名前だ。


 『重版出来!』『逃げるは恥だが役に立つ』だったか。なるほど。話題になった『アンナチュラル』もそうか。やはり上手いし、勢いづいている人は違う。「今」の切り取り方とでも言えばいいのだろうか。これは情報収集力というより感性なのだ。どんな場所でどんな台詞を言わせるか。心身の反応のスイッチを知っている。


 よく情報のアンテナなどという言い方があるが、今どきその扱い方は要注意であろう。多くを受け入れることを感度が良いとすれば、もはやそれには限界がある。今、我々が受け留めたいのは、より深い思索に導くような言葉や行動ではないか。いわば情報の洪水状態に流されない意識を持つことが、もっとも肝要だ。


 直面した現実以外であれば、糸井重里のこの言葉が基準だ。「ぼくは、じぶんが参考にする意見としては、『よりスキャンダラスでないほう』を選びます。『より脅かしてないほう』を選びます。『より正義を語らないほう』を選びます。『より失礼でないほう』を選びます。そして『よりユーモアのあるほう』を選びます。