すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

教科書と現実を照らし合わせて

2018年11月29日 | 読書
 「文科省著作教科書」であるこの本と、70年経過したこの国の現実を照らし合わせてみる。 

2018読了109
『民主主義』(文部省  角川ソフィア文庫)


 民主主義が最も大切にする考えに「自由と平等」がある。いったい「自由」とは何か。青くさい話と突き放さず文章を見よう。「ひろく個人の自由を認めるが、それをかって気ままと混同するのは、たいへんなまちがいである」…ずっと言われ続けながら、混同され、曲解され、何が本質なのか、見えにくくなっている。


 民主主義における自由の考え方は、次の一文に集約されるのではないか。「自由を活用して、世の中のために役だつような働きをする大きな責任がある」。ここで注意したいことは、昨今話題になった「生産性」という点である。それをあまりに近視眼的にとらえ過ぎている、そんなふうに政治が社会をつくりあげてきた。



 もう一つの「平等」はどうか。こちらがさらに難しい世の中になっている。若い頃同僚にかけられた言葉が忘れられない。「人間はもともと不平等に生まれてきている。学校という組織は、その不平等を狭めるため、それとも広げるためにあるのか」…それまで「機会均等」を疑わなかった自分が揺さぶれた一言である。


 格差社会という語が一般化し、様々な形でそのひずみが拡がっている。この本にも「経済民主主義は簡単に実現できないといわざるを得ない」とあり、論理は理解できる。としても現状況が拡大する方向へ向かうならば、民主主義の対極にある独裁主義に近づいていくのは明らかだ。政治の吟味はその一点でも十分だ。


 ここ数年の我が国について判断すれば、明らかに民主社会としては後退しているとみる。その要因を歴史的推移と割り切ったり、政治家の個人的資質に求めたりするのは簡単だが、何よりその責任は私たち有権者一人一人にある。「民主主義は制度ではない、それは心だ」というある意味偏った極論にこそ、本質がある。