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積極的無反応主義

2018年11月20日 | 読書
 先週の「今日のダーリン」で糸井重里がほんわりとした本音のようなことを記している。心にじわっと入ってくる。

Volume.130
 「正直言って、ぼく自身も、世の中で語られていることや、語られてもいないことなどについては、『なんにも思ってない』ことばかりです。(略)いつからか、なんについても『なにかを思ってるはず』という決めつけが広がり過ぎてるような気がして、そっちのほうが問題なんじゃないかと『思ってます!』。」


 人間の脳には測り知れない容量があるという説はあるけれど、普通は記憶するにしても思考するにしても限界はあるだろうと思う。

 だから人は様々な事象について、意識するしないに関わらず選別して、思ったり考えたりしているはずだ。それは自然であり、自分の関心のないことまで無理矢理何か思わなくちゃいけないのは、やはりおかしな話だ。



 「三無主義」と称された世代ど真ん中の者としては、そうだ、無関心でもいい、無感動の何が悪い、無気力それで結構!(これはちょっと違うか)と全面的に賛成したい。積極的無反応主義とでも名付けようか。

 ふと思い出したのは、ある若手人気女優の口癖のように広まった「別に」という返答。
 ずいぶんと好感度を下げたようだが…いや、それもウリの一つだったのかもしれない。

 さらに言えば、力士のインタビュー。金星や勝ち越し時の受け答えで妙に饒舌なのも、どこか嘘くさい。「別に考えていない」「ただ一生懸命」というのも、十分ありだと思う。解説者ではないのだから。

 仕事をしている時分にも、どうも美辞麗句を並べる人たちへの疑問、警戒が常にあったし、自戒もしていたつもりだ。


 思っていないことは思っていない、出来ないことは出来ない、無謀な圧力に屈したり、雰囲気に飲まれたりしないためには、さらっとそんなことを言えればいい。

 それは、逃げではないだろう。
 他に惑わされず我が道を進むための、大切な姿勢だ(と思っています)。