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この衰退は国の…と繰り言

2019年06月07日 | 雑記帳
 今は昔、と言いたくなるほどの話題だ。教員として勤めてしばらくの間、教員は道徳重視派特活(特別活動)重視派に分かれているという雰囲気があったと記憶している。所属する研究会組織との関わりもあったことだろう。勤務校がきっかけでそうなったのかもしれない。まだ道徳に対する批判も根強かった時期だ。


 それが今はどうかと、もはや現役でない者が語るべきことではないとは思うが、道徳優勢は揺らぎないだろう。もう20年以上前からそんな感じではないか。とにかく特活は時間がかかる、特に学級会活動など本気で取り組むとすれば、授業外にどこで時間を捻出するか悩みは大きい。実質的に困難な流れができ上がった。


 少し飛躍すれば、結果「自分たちに関わることは、自分たちで議論し決める」という内容が徐々に薄くなった現実がある。それはやはり道徳では肩代わりできない。どちらも教師の管理下にあることに違いないが、行動化や責任を伴う活動の経験を通して「自主性」を伸ばすための領域として特活は設けられたはずだ。


 この衰退は国の存亡にかかわる、と言ったら放言か、妄言か。かつてある大きな研究大会で、公開された学級会活動を参観し落胆したことがある。それは議題に対し予定された発言がシートに書かれて貼り付けられ、スムーズに進行していく流れだった。大会用にお上から指導助言されたと、関わった人から聴いた。


 万事が予定調和で済まされて…と括りたくなる。効率化を求めているのは誰か。道徳を減らせとは言わないまでも、様々な〇〇教育に充てる時間があるならば、一番身近な社会である学級のことを話し合う時間に、余裕を持って取り組めるように回せないものか。かつての「特活派」はそんな繰り言をまた口にしてしまう。